「イワン」はこの《文書》を読み終ると、確信にみちて立ちあがりました。
つまり、殺したのは「スメルジャコフ」ではなく、兄なのです。
「スメルジャコフ」でないからには、つまり、彼「イワン」でもない。
この手紙が突然、彼の目に数字のようにはっきりした意味を持ってきました。
もはや彼にとってはこれ以上、「ミーチャ」の有罪に対していかなる疑念もありえませんでした。
ついでに言うなら、「ミーチャ」が「スメルジャコフ」と組んで殺したのかもしれぬという疑いは、「イワン」の心に一度も生じませんでしたし、それは事実とも符号しませんでした。
「イワン」はすっかり安心しました。
なんと彼は素直で単純なんでしょうね。
翌朝、「スメルジャコフ」や、その嘲笑を思いだしても、軽蔑をおぼえただけでした。
数日後には、どうしてあんな男の疑いにあれほど苦悩して腹を立てたのか、ふしぎな気さえしました。
彼はあの男を軽蔑し去って忘れようと決心しました。
こういう考え方をするというのも単純ですね。
こうして、ひと月過ぎました。
彼はもはや「スメルジャコフ」のことなぞ、だれにもたずねませんでしたが、二度ほど、あの男が重い病気で、頭がおかしくなっていることを、ちらと耳にしました。
「結局、発狂するでしょうよ」-一度、若い医師の「ワルヴィンスキー」がこう言ったことがあり、「イワン」はそれを記憶にとどめました。
これは(779)で「完全な意味でそうだとは言えませんが、ある種の異常は認められます」との発言のことでしょうか、ちょっと違うようですね。
その月の最後の週に入ると、彼自身もひどく身体具合がわるいのを感ずるようになってきました。
裁判の直前に、「カテリーナ」に招かれてモスクワから来た医者にも、もう診てもらっていました。
「カテリーナ」との関係が極度に尖鋭化したのは、まさにこの時期にあたっていました。
二人はなにか互いに恋し合う仇同士みたいでした。
「ミーチャ」に対する「カテリーナ」の愛の、束の間ではありますが、はげしい再発は、もはや「イワン」を完全な狂乱におとしいれました。
この「ミーチャ」に対する「カテリーナ」の束の間の愛は、どこに書かれているのでしょうか、忘れたかもしれませんし、わかりません。
奇妙なことに、すでに記した、「アリョーシャ」が「ミーチャ」との面会の帰りに寄ったときに、「カテリーナ」の家で起ったあの最後の一幕まで、「イワン」は、自分があれほど憎んでいる兄に対して彼女の愛が《再発》したにもかかわらず、まるひと月の間にただの一度として彼女の口から、「ミーチャ」の有罪に対する疑念をきいたことがありませんでした。
「すでに記した、アリョーシャがミーチャとの面会の帰りに寄ったとき」とは(942)で書かれています、彼女の愛の《再発》とは、(943)の「『あたくし、つい一時間ほど前までは、あんな悪党にかかり合うのが恐ろしいと思っていたんです・・・・毒蛇にさわるみたいで・・・・でも、そうじゃないんです。あの人はあたくしにとって、いまだにやはり人間なんです! あの人が殺したのかしら? あの人が殺したの?』すばやくイワンをかえりみて、彼女は突然ヒステリックに叫びました。アリョーシャは一瞬のうちに、この同じ質問を彼女がすでにイワンに、おそらく自分の来る一分ほど前に発したことや、しかもそれがはじめてではなく、百遍目の質問であり、口論に終ったことを、さとりました。』との部分ですね、つまり「イワン」の激しい嫉妬です。
さらにもう一つ注目すべきことは、彼が「ミーチャ」への憎悪が日ましに強まるのを感じながら、同時に一方では、自分が兄を憎んでいるのは、「カテリーナ」の愛の《再発》のためではなく、まさに兄が父を殺したためである(十二字の上に傍点)ことを理解していた点にありました。
彼はそのことを自分でも感じ、十分意識していました。
それにもかかわらず、彼は公判の十日ほど前に「ミーチャ」を訪ね、脱走の計画を、それも明らかにだいぶ前から考えぬいた計画を提案したのでした。
この「脱走の計画」の提案の過程がぜひとも知りたいですね。
この場合、彼にこのような行動をとらせた主要な原因のほかに、兄を有罪にするほうが得だ、そうなれば父の遺産の額が彼と「アリョーシャ」にとって、四万から六万にはねあがるからだ、と言った「スメルジャコフ」のあの一言によって、心に癒えることなく残された爪痕も、責任がありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿