「イワン」はなおも相手を眺めていました。
舌がしびれてしまったかのようでした。
ああ、ワーニカはピーテルに行っちゃった、
あたしは彼を待ったりしない!
突然、頭の中であの歌の文句がひびきました。
前にも出たこの歌ですが、たまたま亀山郁夫訳の「カラマーゾフの兄弟4」(光文社古典新訳文庫)の該当部分を見ると以下のようになっていました。
「ああ、イワンは都(ピーテル)に行きました
わたし、あの人あきらめます!」
この訳では「ワーニカ」ではなく直接「イワン」になっていますね。
「おい、お前が夢じゃないかと、俺は心配なんだ。俺の前にこうして坐っているお前は、幻じゃないのか?」
もう「イワン」は完全に頭がおかしくなっていますね。
彼はたどたどしく言いました。
「わたしたち二人のほか、ここには幻なんぞいやしませんよ。それともう一人、第三の存在とね。疑いもなく、それは今ここにいます。その第三の存在はわたしたち二人の間にいますよ」
怖いですね、鳥肌が立ちます。
「だれだ、それは? だれがいるんだ? 何者だ、第三の存在とは?」
あたりを眺めまわし、その何者かを探して急いで隅々を見わたしながら、「イワン」は怯えきって叫びました。
「第三の存在とは、神ですよ。神さまです。神さまが今わたしたちのそばにいるんです。ただ、探してもだめですよ、見つかりゃしません」
「お前が殺したなんて、嘘だ!」
「イワン」は気違いのようにわめきました。
「お前は気が狂ったのか、でなけりゃこの前みたいに、俺をからかってやがるんだ!」
「スメルジャコフ」は先ほどと同じように、少しも怯えた様子はなく、なおも探るように相手を見守っていました。
彼はいまだになお自己の猜疑心に打ち克つことがどうしてもできず、「イワン」が《すべてを知って》いながら、《彼一人に罪をかぶせる》ために、演技しているような気がしてなりませんでした。
「ちょっとお待ちくださいまし」
ついに彼は弱々しい声でこう言うと、突然テーブルの下から左足をぬいて、ズボンをたくしあげにかかりました。
その足は白い長靴下に包まれ、短靴をはいていました。
「スメルジャコフ」は落ちつきはらって、靴下留めをはずし、長靴下の中に深々と指をさし入れました。
「イワン」はその様子を眺め、突然ひきつけるような恐怖にふるえだしました。
「気違いめ!」
彼はわめくなり、すばやく席を立って、うしろにとびすさったため、壁に背をぶつけ、そのまま全身を糸のように伸ばして壁に貼りついたようになりました。
気も狂うほどの恐怖にかられて、彼は「スメルジャコフ」を見つめていました。
相手は彼のそんな怯えにもいっこうたじろがず、指で何かをつかんで引きだそうと努めるかのように、なおも靴下の中を探しつづけていました。
そしてついに、つかんで、引きだしにかかりました。
「イワン」は、それが何かの書類か、紙包みらしいのを見てとりました。
「スメルジャコフ」はすっかり引きだすと、テーブルの上に置きました。
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