2019年1月1日火曜日

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また、奇妙なことに、被告が無罪放免になるという点だけは、すべての婦人がほとんど最後の瞬間まで、まったく信じきっていたのであります。

『罪は犯したのだが、今流行のヒューマニズムや、新しい思想や、新しい感情から、無罪釈放になるだろ』というわけでした。

彼女たちがあれほどやきもきしてここに馳せ参じたのも、まさしくそのためにほかなりませんでした。

つまり、婦人たちは「ドミートリイ」が犯人だということは当然にそう思っており、このことは男女問わずほぼ全員が思っていることですが、その点では有罪ではあるが、結局は新しい法律によって無罪になるというロマンティックでドラマティックな展開ですね、また、次に書かれているのですが、男たちは天才的と噂される「フェチュコーウィチ」対検事の戦いという単純な格闘技的興味です。

一方、男たちがいちばん興味を持ったのは、検事と有名な「フェチュコーウィチ」の一騎討ちでした。

いかに「フェチュコーウィチ」のような天才でも、こんな見込みのない、取るに足らぬ事件ではどうすることもできまいと、だれもが呆れ、自問していました。

それだけにまた、みなが注意を張りつめさせて彼の奮闘を一歩一歩見守っていました。

しかし、「フェチュコーウィチ」は最後まで、いよいよ弁論に入るまで、だれにとっても謎でした。

もの慣れた人たちは、彼には一つのシステムがあって、すでにある程度のものはできあがっており、ずっと先に狙いがあることを予感していましたが、その狙いが何であるかを推測するのは、ほとんど不可能でした。

それでも彼の信念と自信は、みなの目につきました。

そればかりか、だれもがすぐに気づいて満足したことに、彼はせいぜい三日かそこら、この町に滞在している短い間に、おどろくほど事件に精通し、《微妙な点にいたるまで事件を研究しつくして》いました。

たとえば、あとでおもしろおかしく話題になったことですが、彼は検事側のすべての証人たちの道義的な評判に泥を塗り、したがっておのずから彼らの証言にも泥を塗る手腕を示しました。

もっとも、彼がそんなことをするのは、もっぱら遊びのためであり、弁護士の常套手段を何一つ忘れさせまいという、いわば裁判上の光彩のためにすぎないのだ、と人々は思っていました。

なんか、こんなことは表現するのかむずかしいことで、普通なら書かないですむし飛ばすようなことなのですが、この微妙さをとりあげているのは、表現に対する作者の挑戦のように思えます。

なぜなら、そんな《挙げ足とり》では究極の大きな利益を獲得できるはずがなく、そのことは彼自身がだれよりもよく承知しているはずだから、何か自分の考えや、今のところまだ秘めている弁護の武器を用意してあって、いずれ時いたれば突然それを抜き放つにちがいないと、だれもが確信していたからです。

しかし、今のところ彼はやはり、自分の力を意識して、遊んだり、ふざけたりしているかのようでした。

たとえば、「フョードル・パーヴロウィチ」のかつての待僕であり、《庭に通ずるドアが開いていた》というもっとも重大な証言を行なった「グリゴーリイ」の尋問の際もそうで、弁護人は自分が反対尋問をする番になると、しつこく食いさがりました。

「侍僕」とは、「じぼく」と読むそうです、意味は「貴人のそば近くに仕える男の召使い。目上の人に仕えるしもべ。下僕。」とのこと。

ここでぜひ指摘しておかねばなりませんが、「グリゴーリイ」は法廷の厳粛さにも、また自分の話をきいているおびただしい傍聴人の存在にもまるきりうろたえることなく、落ちついた、むしろ堂々とした態度で、法廷に立ちました。

まるで老妻の「マルファ」と差向いで話しているかのように、確信をこめて証言を行い、ただ言葉づかいがいくぶん丁寧なだけでした。

彼をまごつかせることなど不可能でした。

最初に検事が「カラマーゾフ」家の家庭のこまごました事情を、永いこと質問しました。

家庭の情景が鮮やかに浮彫りにされました。

話しぶりや態度から、証人が純朴で公平であることもわかりました。

かつての主人の思い出に対するきわめて深い敬意にもかかわらず、彼はやはり、たとえば主人が「ミーチャ」に対して不公平であったことを申し立て、「お子さまをちゃんとお育てになりませんでした。あの方だってごく幼いころ、わたしがいなければ、虱たかりになっていたことでしょう」と、「ミーチャ」の幼年時代を語りながら、付け加えました。

「母方から相続した領地のことで、実のご子息を騙したりしたのも、やはり父親としてふさわしいことではございません」

しかし、「フョードル」が息子との勘定をごまかしたと主張するだけの、どんな根拠があるのかという検事の質問に対して、「グリゴーリイ」は、みなのおどろいたことに、根拠となる資料を何一つ示さず、それでもやはり、息子との勘定が《不正な》ものであり、たしか「あと数千ルーブル払わねばならぬはずだった」と主張し続けました。

ついでに指摘しておきますが、本当に「フョードル」は「ミーチャ」に対して未払い分があったのかというこの質問を、検事はその後も一種特別なしつこさで、「アリョーシャ」も「イワン」も別扱いせず、たずねうるかぎりのすべての証人にただしていましたが、証人のだれからも何ら情報は得られませんでした。


だれもがその事実を確認はするのですが、だれ一人せめて多少なりとはっきりした証拠を示すことができなかったのであります。


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