2019年1月28日月曜日

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「イッポリート」の論告の続きです。

「・・・・実は昨夜、ここの町はずれで、本事件に重大な関係を持っていた、かつての召使であり、ことによるとフョードル・カラマーゾフの私生児だったかもしれぬ、病気の白痴、スメルジャコフが自殺いたしました。この男が予審の際、ヒステリックな涙を流しながらわたしに話したのでありますが、このカラマーゾフ青年、つまりイワン・フョードロウィチの精神的奔放さに慄然とさせられたということであります。『あの方の説によりますと、この世ではどんなことでも許される。これからは何一つ禁じられるべきではない、んだそうでして-いつもわたしにそう教えてくださいました』と彼は言ったのです。たぶん、あの白痴は教えこまれたこのテーゼのおかげで、発狂したのでありましょう。もっとも、癲癇と、あの家に起った恐ろしい惨劇とが、彼の精神錯乱に影響したことは、言うまでもありません。ところが、この白痴がきわめて興味深い指摘をちらと洩らしたのです。それは観察者たる彼が自慢するに足る、いくらか気のきいた指摘で、わたしがこの話をはじめたのも、実はそのためなのであります。『ご子息の中で、大旦那さまにいちばん性格の似た方がいるとしたら、それはあのイワン・フョードロウィチでございます!』こう彼は言ったのです。これ以上つづけるのはデリケートと思いませんので、わたしはいったんはじめた性格分析をこの指摘で打ち切ることにします。そう、わたしはこれ以上の結論をひきだして、不吉なカラスのように青年の運命には破滅あるのみだなどと騒ぎたてるつもりはありません。われわれは今日この法廷で、あの青年の心に本質的な真実の力がまだ生きつづけていることを見ました。思想の真の苦悩によってというより、むしろ遺伝によってかち得た、不信仰と、道義的な冷笑癖(シニスム)によっても、家族的な愛情がいまだにかき消されていないことを、われわれは見たのであります。さて次に、もう一人の息子でありますが、そう、これは兄の暗い退廃的な世界観とは反対に、敬虔な謙虚な青年で、いわば《民衆の原理》、あるいはわが国の思索するインテリゲンチャの一部の理論界でこういう難解な言葉でよばれているものに、密着することを求めております。彼はご承知のようにその密着する先を修道院に求め、当人ももう少しで修道僧になるところでありました。彼の内部には、無意識のようではありますが、ごく早くから臆病な絶望があらわれていたように思われます。今日のわが国の貧しい社会においては、きわめて多くの者がこの臆病な絶望におちいり、冷笑的態度(シニスム)と社会の堕落を恐れるために、いっさいの悪がヨーロッパ文明のせいと誤解して、幻影に怯える子供よろしく、彼らの言葉を借りるなら《生みの大地』に、いわば生みの大地の母性的な抱擁に身を投じて、やつれた母親のしなびた胸でせめて安らかに眠りた、身の毛のよだつ恐怖さえ見ずにすむならたとえ一生でも眠りつづけていたいと、渇望しているのであります。青年らしいセンチメンタルな善意と、民衆の原理への志向とか、世間にしばしば見られるように、後日、精神的な面では暗い神秘主義に、市民的な面では愚鈍な排外主義(ショーヴィニズム)に変わったりせぬことを望んでおります-この二つの要素はことによると、彼の兄が憎んでいるヨーロッパ文明よりも、いっそう大きな害悪を国民にもたらすおそれがあるかもしれぬからです」

「イッポリート」は「スメルジャコフ」を「白痴」と何度も言っていますが、本当にそのような認識なんでしょうか、そんなことを言いそうなのは「イワン」か「ドミートリイ」だけですね。

排外主義と神秘主義というくだりで、またしても二、三の拍手が起りかけました。

そして、もちろん、「イッポリート」は夢中になりました。

それにしても、これらすべては、論旨がかなり不明確であることはさておき、当面の事件にほとんど関係ないことばかりだったが、憤懣やるかたない結核の彼としては、せめて一生に一度くらい、思いきり自説をぶちまけたくなったのです。

のちに町の人々は、「イワン」の性格描写をするにあたって彼が粗野な感情につき動かされていた、それというのも前に一、二度「イワン」が議論でおおっぴらに彼をやりこめたことがあり、「イッポリート」はそれを根に持って、今こそ仕返ししようと思ったからなのだ、と噂したものであります。

しかし、はたしてそう結論していいかどうか、わたしにはわかりません。

いずれにせよ、今までのはすべてほんの序論でしかなく、このあと弁論はもっとずばりと事件の核心に近づいていったのであります。


ここまでの「イッポリート」の論告における性格描写は①「フョードル」→嘲笑好きの意地わるい冷笑家と、好色漢、利己的、②「スメルジャコフ」→病気の白痴、「この世ではどんなことでも許される」という「イワン」の考えと、癲癇と、惨劇によって発狂、③「イワン」→「フョードル」に性格が似ている、遺伝によってかち得た不信仰、道義的な冷笑癖、家族的な愛情も残っている、④「アリョーシャ」→「敬虔な謙虚な青年、無意識のでごく早くから臆病な絶望があらわれていた、青年らしいセンチメンタルな善意と、民衆の原理への志向、ということです。


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