七 時間的な経緯
「各医師の鑑定は、被告の精神が正常でなく、偏執狂であることを立証しようと努めておりました。わたしは、被告の精神はまったく正常であり、まさにその点がいちばん不利であると断言いたします。もし正常でなければ、おそらくもっとずっと利口に立ちまわったにちがいないからであります。被告が偏執狂だったという点に関しては、わたしも同意したいところでありますが、それもただ一点、すなわち医学鑑定の指摘したように、被告が例の三千ルーブルを、父親の未払い分であるかのように見ていたという点に限ります。が、それにもかかわらず、この金に対する被告の日ごろの気違いじみた執念を説明するには、狂気の傾向より、比較にならぬほど適切な視点を見いだすことができるはずです。わたしとしては、被告が完全に正常な知的能力を現にそなえているし、以前もそなえており、ただ憤激して憎悪に燃えていたにすぎぬと指摘した、若い医師の見解に、全面的に賛成するものであります。まさにここが問題なので、被告の日ごろの気違いじみた憤りの対象は、もともと三千ルーブルという金額にあったのではなく、彼の怒りをかきたてる特別の原因がそこに介在していた点にあるのです。その原因とは、嫉妬であります!」
「イッポリート」の言う各医師の鑑定は(1014)に書かれていました、そして彼が「全面的に賛成」だという最後に尋問された医師『ワルヴィンスキー』の見解とは「被告は現在も以前もまったく正常な状態にあり、たしかに逮捕の直前には神経の極度にたかぶった状態にあったはずだとしても、それは嫉妬とか、憤り、ぶっつづけの酩酊状態など、多くの明白な理由から生じうるものであります。しかし、この神経的な状態は、今言われたような特別の《心神喪失》などまったく含んでいるはずがありません。被告が入廷に際して、左右いずれを見るのが当然かという点に関しては、《卑見によれば》、被告は法廷に入るに際して、実際に見ていたように、真正面を見つめるのが当然と思われる。なぜなら真正面には、今や自分の全運命を左右する裁判長と裁判官たちが坐っているからであり、したがって、真正面を見つめていたとすれば、ほかならぬその一事によって被告は、現在の瞬間における知性の完全な正常さを証明したことになるのです」と、しかし、「イッポリート」が言っている「もし正常でなければ、おそらくもっとずっと利口に立ちまわったにちがいないからであります」というのは私には意味がわかりません。
ここで「イッポリート」は、「グルーシェニカ」に対する被告の宿命的な情熱の全景を、詳細にくりひろげました。
被告が《ぶん殴る》つもりで《若い女性》のところに乗りこんだ、あの瞬間から説き起し、被告自身の表現を用いながら、こう説明しました。
「ところが、ぶん殴る代りに被告は彼女の足もとにひれ伏してしまった。これが恋のはじまりです。一方同じころ、被告の父親である老人も、同じこの女性に目をつけました。実におどろくべき宿命的な一致であります。なぜなら、どちらもそれ以前からこの女性を知っていたし、会ったこともあるというのに、突然、同時に二つの心が燃えあがったからです。しかも、どちらの心もとどまることを知らぬ、きわめてカラマーゾフ的な情熱に燃えあがったのであります。ここに彼女自身の告白があります。『あたしはあの二人を、どちらもからかっていたのです』と彼女は言っています。そう、彼女は突然、どっちもからかってやりたくなったのです。それまで、そんな気はなかったのに、ここにきて突然、そんなもくろみが頭にうかんだのでした。その結果、二人とも征服されて彼女の前にひれ伏したのです。金銭を神のように崇めていた老人は、自分の住居を訪ねてくれさえしたら与えると言って、即座に三千ルーブルを用意しましたが、日ならずしてそれは、彼女が正妻になることを承知してくれさえすれば、自分の名前も全財産も彼女の足もとに投げだすことを幸福と思う、という域にまで達したのであります。この点については、たしかな証拠があります。一方、被告について言えば、その悲劇は明白でした。それはわれわれの目の前にあります。しかし、それがこの若い女性の《たわむれ》だったのです。不幸な青年に対して、この男泣かせの美女は希望すら与えませんでした。希望が、真の希望が与えられたのは、被告が自分を苦しめつづけた女性の前にひざまずき、すでにライバルである父親の血に染まった両手をさしのべた、最後の瞬間すぎなかったのです。まさにこうした状態で、彼は逮捕されたのでした。『あたしを、あたしをいっしょに懲役にやってください。あたしがこの人をこんなところにまで追いこんだのです、あたしがだれよりもいちばんわるいんです!』彼の逮捕の瞬間、この女性はもはや心からの悔悟にかられて、みずからこう叫んだのであります。この事件の叙述をすすんで引き受けられた才能豊かな青年、すなわち、すでにわたしが名をあげた例のラキーチン氏は、簡潔な個性的な数行の文章で、このヒロインの性格をこう規定しておられます。『若くして知った幻滅、若くして味わった欺瞞と堕落、彼女を棄てた女たらしの婚約者の裏切り、その後の貧困、真正直な家族の呪詛、そして最後に、彼女自身が今も恩人と見なしている、さる裕福な老人の庇護。おそらく多くのすぐれたものを蔵していたにちがいない若い心に、あまりにも早くから、憤りが秘められたのだ。こうして金をためこむ打算的な性格が形成された。嘲笑癖と、社会への復讐心が作られたのある』・・・・」
「イッポリート」の論告ですがここで切ります。
「ドミートリイ」と「グルーシェニカ」の「恋のはじまり」は(335)での「ドミートリイ」と「アリョーシャ」の会話に書かれています、「・・・・そもそもの最初はあの女をぶん殴りに行ったんだよ。俺が嗅ぎつけて、今じゃ確実にわかっていることなんだが、親父の代理人をしている例の二等大尉がグルーシェニカに俺名義の手形を渡しているんだ。つまり、俺が軟化して、脛かじりをやめることを、彼女に要求させようって寸法だ。震えあがらそうって肚さ。そこでグルーシェニカをぶん殴りに出かけたわけだ。その前にも彼女をちらと見たことはあったんだがね。強烈な印象を与える女じゃないよ。例の年寄りの商人のことも知ってたさ、あの爺さんは今じゃ、そのうえご丁寧にも病気になって、すっかり衰弱して寝たきりだそうだが、それでもやはり彼女にべらぼうな大金を残すらしいよ。それから俺は、あの女が金を溜めるのが好きなことも、知っていた。あのペテン師の悪女め、どえらい利息で貸しつけて、血も涙もなく稼ぎまくるんだよ。ところが、俺はあの女をぶん殴りに行って、そのままあいつの家に尻を落ちつけちまったんだ。雷がとどろいたようなもんさ、ペストにかかったんだよ。感染して、いまだに感染しっぱなしなのさ。もはや何もかも終りで、金輪際ほかの道はないってこともわかっている。時が完全に一巡したんだよ。まあ、こういうわけだ。あのときはたまたま、素寒貧のこの俺の懐ろに、お誂えむきに三千ルーブルあってな。彼女といっしょにモークロエにくりだしたんだよ。ここから二十五キロほどだけどね。そこでシプシーの男女をよんだり、シャンパンをとったり、村の百姓や、はては女や娘たちにまで片端からシャンパンをふるまったりして、何千もの金を撒きちらしたもんだ。三日後には無一文だったが、かっこいいやね。ところで、かっこいい男が望みをとげたと思うだろ?とんでもない、遠くからさえ拝ませてくれないんだよ。お前に教えてやるが、曲線美なんだ。あおのグルーシェニカの悪女は、肉体がすばらしい曲線美で、それがかわいい足にもあらわれてるのさ、左足の小指にまであらわれているんだよ。拝んで、キスして、それでおしまいさ、本当だぜ!『お望みなら、結婚してあげるわ、あなたは素寒貧だけど。あたしを打ったりしない、あたしのやりたいことは何でもさせてくれる、と約束なさい。そしたら結婚してあげるかもしれないわ』こう言って、笑うんだよ。今でも笑うんだ!」と、それにしても「イッポリート」は「ラキーチン」が気に入っているようでここでも彼の分析する「グルーシェニカ」を引用しています、しかし、「ラキーチン」と「グルーシェニカ」はたがいに反目しあっているので正当な意見とは思えませんが。
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