2019年2月12日火曜日

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ここで「イッポリート」は、「ミーチャ」の支度の詳細な光景や、「ペルホーチン」の家だの、食料品店だの、馭者たちを相手にしたときだのの情景をくりひろげてみせました。

彼は、すべて証人の裏付けのあるおびただしい数の言葉や、言いまわしや、しぐさなどを引用してみせたので、その光景は傍聴人の確信におそろしく影響しました。

何より、それらの事実の総和が影響を与えました。

狂おしいばかりに混乱し、もはや自己を大切にしようともせぬこの男の有罪性が、消しがたい強さで浮彫りにされました。

「もはや彼にしてみれば、自分を大切にする必要などなかったのです」

「イッポリート」は言いました。

「二、三度彼はすんでのところですっかり自白しそうになり、匂わせかけたのですが、最後までは言いきらなかったのです。(ここで証人たちの供述が紹介された)途中で馭者に『おい、お前が運んでいるのは人殺しなんだぞ!』と叫びさえしたのですが、やはり最後まで言いきることはできませんでした。まず、モークロエ村について、そこでこの叙事詩に終止符を打つことが必要だったからです。だが、この不幸な男を待ち受けていたものは、いったい何だったでしょうか? ほかでもない、モークロエに着いてほとんど最初の数分間で彼は、《まぎれもない》ライバルが、ひょっとすると、まぎれもないなどと言えるほどの男ではないかもしれぬことや、新しい幸福への祝辞や祝杯など、だれも望んでいないし、受けてもくれないことに気づき、最後にははっきりと理解したのです。しかし、陪審員のみなさん、みなさんはすでに予審によって、事実をご存じです。ライバルに対するカラマーゾフの勝利は、争う余地のないものであることがわかりました。そして、そのとたん、そう、そのとたん彼の魂の中にもはやまったく新しい局面が生じたのです。それはこの魂がこれまでに経験し、この先いつか経験するに違いないあらゆる局面のうちで、もっとも恐ろしいものとさえ言えるのです! 陪審員のみなさん、はっきり認めることができます」

「イッポリート」は叫びました。

「損われた本性と、罪を犯した心とが、いかなる地上の裁判よりも完全に、みずから復讐したのでした! そればかりではなく、地上の裁判と刑罰は本性の刑罰をむしろ軽くするものであり、そのような瞬間の犯罪者の心にとって、絶望からの救いとして必要でさえあるのです。なぜなら、彼女が愛してくれており、彼のために《まぎれもない以前の男》を振って、彼《ミーチャ》を面目一新した生活へいざない、幸福を約束してくれていることを知ったときの、カラマーゾフの恐怖と精神的苦悩を、わたしは想像することさえできないからです。しかも、それがどういうときだったか? 彼にとってもはやすべてが終り、もはや何一つ不可能になった矢先ではありませんか! ついでながら、このときの被告の状態の真の本質を説明するために、きわめて重要な指摘を一つしておきます。この女性は、彼の恋人は、最後の瞬間まで、逮捕されるその瞬間まで、彼にとっては手の届かぬ存在だったのであり、熱烈に求めながらついに手を触れることのできぬ存在だったのであります。それにしても、いったいなぜ彼はあのとき、自殺しなかったのでしょうか、なぜいったん決めた意図をわきへ押しやり、ピストルの置き場所さえ忘れてしまったのでしょう? まさしく、情熱的な愛の渇望と、その渇望をその場ですぐに充たせるという期待とが、彼を引きとめたのであります。酒宴に理性も麻痺し、彼はいっしょに杯を干してくれる、かつてないほど美しく魅力的な恋人にへばりついて、そばを離れようともせず、彼女に見とれ、今にも消えてしまわんばかりの風情でした。この情熱的な渇望が、一瞬の間、逮捕の恐怖だけではなく、良心の呵責そのものまで、踏みつぶしたにちがいないのです! それは一瞬の間、そう、ほんの一瞬の間だけのことでした!・・・・」

ここで切ります。


モークロエに着いたときの「ドミートリイ」は「グルーシェニカ」と《まぎれもない以前の男》との門出を祝福するために最後のどんちゃん騒ぎをもくろみ、そのあとで自分は自殺しようと考えていましたが、事情が急変しました、「グルーシェニカ」がその男を振って自分を選んだのですから、彼としては地獄から天国です、しかし、自分は「グリーゴーリイ」を殴ったのであり、その経過によってはもしかすると殺人者になるかもしれないと思い、再び天国の状態から突き落とされたのです、しかし、「グリーゴーリイ」の怪我が大したことがなければ、わずかではありますが希望は見えるのであり、最悪の場合は地獄のどん底ということなのです、このような精神状態が上下から引き裂かれるような「ドミートリイ」のこの時の苦しい気持ちを「イッポリート」は上手に表現していると思います、彼は「地上の裁判と刑罰は本性の刑罰をむしろ軽くするものであり、そのような瞬間の犯罪者の心にとって、絶望からの救いとして必要でさえあるのです」と言っていますがこれは神の存在を信じ、人間の良心に絶対的な信頼を置いている人の発言であると思います。


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