2019年2月11日月曜日

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九 全速力の心理分析。ひた走るトロイカ。論告の結語

論告のこの個所までくると、明らかに「イッポリート」は、あらゆる神経質な弁論家が、性急な熱中を抑えるために、厳格に設けられた枠をことさら求めて好んで用いる、厳密に歴史的な叙述法を選んだらしく、《まぎれもない以前の男》のことを特にくわしく説明し、この問題に関していくつか、それぞれの興味深い考えを述べました。

ここからの論告のモークロエでの《まぎれもない以前の男》に関する部分は、「イッポリート」が「性急な熱中を抑えるために」自分を抑える枠を意識しつつ描写しているとのことでしょうか、「厳密に歴史的な叙述法」がよくわかりません。

「だれに対しても気違いじみた嫉妬を燃やしていたドミートリイ・カラマーゾフが、この《まぎれもない以前の男》を前にして、突然いっぺんにしゅんとなって、姿を消そうとしたのです。思いがけないライバルという形でいずれ現われるはずの、この新しい危険に、それまで彼がほとんどまったく注意を払っていなかっただけに、これはいっそう奇妙なことであります。しかし彼は常に、それはもっとずっと先の話であり、このカラマーゾフは現在の瞬間だけに生きるのだ、と考えていたのでした。おそらく彼はそれを作り話とさえ見なしていたにちがいありません。ところが、あの女性がこの新しいライバルのことを隠していたのも、先ほど彼女が自分を騙したのも、つまりはふたたび舞い戻ってきたこのライバルが彼女にとって空想でも作り話でもなく、人生における希望のすべてであるためかもしれぬことを、病める心で一瞬のうちにさとり、一瞬のうちに理解するや、彼はとたんにおとなしくなったのであります。陪審員のみなさん、わたしは被告の心にあらわれたこの思いがけない一面を、語らずにすごすことはできません。被告は絶対にそんな一面を示しえぬ人間であるような気がしていたのに、真実と、女性への尊敬と、彼女の心の権利の承認との、やみがたい欲求がふいに生れたのです。それも、彼女のために自分の手を父親の血で染めた、その瞬間にでありました! 流された血がもはやこの瞬間に復讐を叫びはじめたことも事実です。なぜなら、自分の魂と地上の運命とを滅ぼした彼は、その瞬間、思わずこう感じ、自分に問いかけたにちがいないからです。『あの《まぎれもない以前の男》、すっかり後悔して、かつて自分が破滅させた女のもとへ、新しい愛と誠実な結婚の申し込みとをたずさえ、生れ変った幸福な人生への約束を持って帰ってきた男にくらべて、俺はいったいどんな意味を持っているんだ? 自分の魂よりも愛する存在である彼女にとって、いまさら(四字の上に傍点)俺がどんな意味を持ちうるというのだ? 不幸なこの俺がいまさら(四字の上に傍点)彼女に何を与え、何を提供できるのか?』カラマーゾフはそれを理解したのです。自分の犯罪があらゆる道を閉ざし、自分はこれから生きてゆくべき人間ではなく、刑を宣告された犯罪者にすぎぬことを、彼はさとったのでした!  この思いが彼を圧しつぶし、打ちのめしたのです。そしてすぐさま、カラマーゾフの性格からすれば、この恐ろしい状態からの唯一絶対の逃れ道と思われざるをえない、狂おしい一つの計画にとびつくのです。その逃れ道とは、自殺であります。彼は官吏ペルホーチンに担保として預けたピストルを請けだしに走り、同時にその途中、走りながら、たった今そのために自分の手を父親の血で汚した金を全部、ポケットからつかみだすのです。そう、金こそ今や何よりも必要なものでした。カラマーゾフは死ぬんだ、ピストル自殺をするんだ、あとあとまでそれをおぼえていてもらわなければ! 被告が詩人であったのも当然です。蝋燭を両端から燃すように生命を燃焼させたのも、むりはありません。『彼女のところへ、彼女のところへ行こう。そしてあそこで、世界じゅうに鳴りひびくような、酒宴を開くんだ。末永く人々の記憶に残り、語りぐさになるような、いまだかつてないくらい豪勢な酒宴を。派手な喚声や、狂おしいジプシーの歌声や踊りのただなかで、酒杯をあげ、尊敬する女性の新しい幸福を祝うのだ。それから、その場で、彼女の足もとで、この頭を射ち砕き、わが生命を処刑しよう! いつの日か彼女がミーチャ・カラマーゾフを思いだし、どんなにミーチャが彼女を愛していたかを知り、ミーチャを不憫に思ってくれるにちがいない!』絵のような美しさや、ロマンチックな熱狂、カラマーゾフ一流の野生的な奔放さと感受性などが、ここにはおびただしく氾濫しています。だが、陪審員のみなさん、そのほかにさらに何かがあるのです。魂の中で絶叫し、たえず理性をたたいて、死ぬほど心を苦しめている、何かがあるのです-それは良心であります。陪審員のみなさん、良心の裁きであり、恐ろしい良心の呵責であります! しかし、ピストルがすべてを鎮めてくれる、ピストルこそ唯一の逃れ道であり、ほかに道はない、だがその先は-その瞬間カラマーゾフが『その先には何があるか(十字の上に傍点)』と考えたかどうか、またカラマーゾフがハムレット的に、その先に何があるかを考えたりできるのかどうか、わたしにはわかりません。そう、陪審員のみなさん、ハムレットはあちらの話で、わが国では今のところまだカラマーゾフなのであります」


「被告が詩人であったのも当然です」と言う「イッポリート」も言葉によって聴衆を感動させるという意味で相当な詩人だと思います。


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