「イッポリート」の論告の続きです。
「・・・・わたしがこんなことを申しあげるのは、わたしの考えによればきわめて特徴的な一つの状況に注目していただくためです。かりにこれが場数を踏んだ殺人者であり、盗みだけを目的とした殺人者であるなら、はたしてこの封筒を床の上に、死体のわきで発見されたような状態で置きすててゆくでありましょうか? たとえば、かりにスメルジャコフが金目当てに殺したとするなら、彼は被害者の死体の上で封を切るような手間をかけずに、あっさり封筒ごと持ち去ったでありましょう。彼は封筒の中に金が入っていることをたしかに知っていました。なぜなら、彼の見ている前で金を封筒に入れ、封をしたからです。ですから、彼が袋ごとそっくり持ち去ってしまえば、盗みが行われたかどうか、わからずに終るはずなのです。陪審員のみなさん、わたしはみなさんにおたずねしたい、スメルジャコフがそんな振舞いをするでしょうか、わざわざ封筒を床の上に置きすててゆくでしょうか? そんなはずはありません。まさしくこんな振舞いをするにちがいないのは半狂乱になってもはや判断もろくにできなくなった殺人者であります。泥棒ではないし、これまで一度として何一つ盗んだこともなければ、今寝床の下から金を奪ったのも泥棒として盗んだわけではなく、むしろ泥棒に盗まれた自分の品を取り返したつもりでいる殺人者なのであります。なぜなら、この三千ルーブルに関して、もはや偏執狂にまで立ちいたっていた、ドミートリイ・カラマーゾフの考えは、まさしくこういうものだったからです。さて、それまで一度も見たことがなかった封筒をひっつかむと、彼は本当に金が入っているかどうかを確かめるために、封筒を引き裂き、それから金をポケットに突っこんで逃げたのですが、引き裂いた封筒という、自分に対する重大な告発状を床に置きすてたことさえ、考えるのを忘れてしまったのでした。すべては、スメルジャコフではなく、ドミートリイ・カラマーゾフだったからであり、彼はそんなことなど考えも、思いめぐらしもしなかったのです。それに、どうしてそんな余裕がありましょうか! 彼は逃げる途中、追いかけてくる召使の叫び声を耳にします。召使は彼に組みつき、引きとめようとしたのですが、銅の杵で一撃されて倒れます。被告は憐れみからそのそばへとびおりたのです。どうでしょう、被告はここで突然、あのときとびおりたのは、なんとか召使を助けられぬものかとしらべてみるためで、憐れみと同情の気持からだと、われわれに言い張るのです。だが、そんな同情を示しているような場合だったでしょうか? とんでもない、彼がとびおりたのはまさしく、犯行の唯一の目撃者が生きているかどうかを見とどけるためにほかなりません。それ以外のどんな感情も、どんな動機も、不自然でありましょう! 注目すべきことに、被告はグリゴーリイを介抱し、額をハンカチでぬぐってやりはしたものの、相手が死んでいると確信するや、呆然となって全身血まみれのまま、ふたたび恋人の家へ駆け戻ったのです。自分が血まみれであり、すぐに疑いがかかるにちがいないことを、どうして考えなかったのでしょうか? だが、被告自身、血まみれだったことなど注意も払わなかったと主張しております。これは認めても差支えありますまい。これは大いにありうることで、こんな瞬間には常に犯人にありがちのことだからです。一方では悪魔のような計算を働かせ、もう一方では思慮が欠けているのです。だが、その瞬間に彼が考えていたのは、彼女(二字の上に傍点)がどこにいるかということだけでした。被告は一刻も早く彼女の居場所を突きとめなければならなかった。こうして彼は彼女の住居に駆け戻り、彼女が《まぎれもない以前の男》によばれてモークロエに行ったという、思いもかけぬ、おどろくべき知らせをきいたのであります!」
まさに「イッポリート」の主張は、「スメルジャコフ」が善良であり、「ドミートリイ」が半狂乱の嘘つきだという思い込みを前提とした推測だと思います、床に落ちていた「封筒」については、「スメルジャコフ」が自分に疑いがかかるのを避け、半狂乱者の仕業と見せかけるためにそうしたのであるという可能性も考えられるのですが、全く触れていませんし、「グリゴーリイ」を介抱したのも死んだかどうかの確認のためであって、同情して助けようとしたという「ドミートリイ」の主張など無視しています。
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