彼がスメルジャコフの名を持ちだすのは、おそらく翌日なり数日後なりのことで、機会をとらえて自分からこう叫ぶにきまっているのです。『どうです、僕はあなた方以上にスメルジャコフ説を否定していました、あなた方もそれはおぼえておられるでしょう。でも今やその僕も確信しました。あの男が殺したんです、あいつにちがいありません!』が、さしあたりわれわれに同調して、陰鬱な苛立たしい否定をする。それでも、もどかしさと怒りが、父親の窓をのぞいてうやうやしく立ち去ったなどいう、きわめて拙劣な、見えすいた釈明を彼に耳打ちしたのでした。何より、被告はまださまざまの状況や、意識を取り戻したグリゴーリイの証言の程度を、知らなかったのです。われわれは彼の身体検査にとりかかりました。身体検査は彼を怒らせましたが、逆に元気づけもしました。なぜなら三千ルーブルそっくりは見つからず、見つかったのは千五百ルーブルだけだったからです。そして言うまでもなく、憤ろしい沈黙と否定のこの瞬間になって、はじめて、お守り袋というアイデアが頭にうかんだのでした。疑いもなく被告はこの作り話の信じがたさを自分でも感じて苦しみ、なんとか本当らしく見せよう、まことしやかな一編の小説になるようにでっちあげようと、ひどく苦しんでいました。こういう場合、予審の第一の仕事は、そのいちばん重要な課題は、準備する余裕を与えずに不意打ちを食わして、犯人が心に秘めた考えを、すぐにぼろを出すような単純さと、不自然さと、矛盾とにみちた形で言うように仕向けることであります。犯人に口を割らせるには、何か、その意味からいえばきわめて重大でありながら、犯人がそれまで決して予想もしておらず、絶対に見ぬけぬような新しい事実なり、なんらかの状況なりを突然、さりげなく知らせてやるに限るのです。その事実はわれわれの手もとに用意されてありました。そう、かねて用意してあったのです。それは、ドアが開いており、そこから被告が逃げだしたという、意識を取り戻した召使グリゴーリイの証言でした。このドアのことを被告はすっかり忘れていたし、グリゴーリイがそれを見ていようなどとは、予想してもいなかったのです。効果は絶大でした。彼はとびあがって、だしぬけに『それじゃスメルジャコフが殺したんだ、スメルジャコフです!』と叫んだのです。こうして自分の秘め隠していた、基本的な考えを、きわめて見えすいた形でさらけだしたのです。なぜなら、スメルジャコフが殺しうるとすれば、被告がグリゴーリイを殴り倒して逃走したあとに限られるからです。そこで、グリゴーリイがドアの開いている見たのは殴り倒される前のことだった事実や、寝室を出るときに彼は衝立の向うでスメルジャコフの呻いているのをきいたことなどを、われわれが知らせてやると、被告は本当に打ちしおれてしまいました。わたしの同僚である、尊敬すべき俊才ネリュードフ予審調査官は、その瞬間、涙が出るほど被告が気の毒になったと、あとでわたしに話してくれたほどでした。そして、まさにその瞬間、被告は事態を立て直すために、例のまことしやかなお守り袋の話をあわてて告げたのであります。じゃ仕方がない、それならこういうお話をきいてください、というわけなのです! 陪審員のみなさん、ひと月前にお守り袋に金を縫いこんだというこの作り話を、なぜわたしが単にナンセンスであるばかりか、この場合に見いだしうる限りのもっとも見えすいたでたらめとさえ見なしているかという、わたしの考えはすでに述べました。これ以上見えすいた嘘を言ったり考えたりできるかどうか、たとえ賭けをして探したとしても、こんなへたな嘘は考えだせぬことでしょう。何よりもこの場合、得意になっている作者をたじろがせ、粉砕しうるのは、細部の事実であります。すなわち、現実には常にふんだんにあるというのに、心ならずも作者になったこれらの不幸な人々がいつも、何の意味もない不必要な些事として軽視し、決して頭にうかべようとさえせぬ、細部の事実にほかならないのです。そう、彼らはその瞬間そんなものにかまっておられず、彼らの頭はもっぱら壮大な全体像だけを創りあげる-ですから、よくもこんな瑣末なことを持ちだせるもんだ、という感をいだくのです! だが、彼らがぼろを出すのも、まさにここなのです! たとえば被告にこういう質問を出してみます。『ところで、どこでそのお守り袋の布施を手に入れましたか? だれに縫ってもらったのです?』『自分で縫ったんです』『で、その布地はどこで手に入れたんです?』・・・・」
ここで切ります。
「イッポリート」の推測が続きます、逮捕時の尋問内容をいろいろと捻じ曲げて自分の都合のいいように説明しています、彼は「われわれは彼の身体検査にとりかかりました。身体検査は彼を怒らせましたが、逆に元気づけもしました。なぜなら三千ルーブルそっくりは見つからず、見つかったのは千五百ルーブルだけだったからです。」と言っていますが、身体検査で見つかったわけではないですね、また、「その事実はわれわれの手もとに用意されてありました。そう、かねて用意してあったのです。それは、ドアが開いており、そこから被告が逃げだしたという、意識を取り戻した召使グリゴーリイの証言でした」というのはおかしいですね、(817)で検事は「まさにあなたが今おっしゃった、その開いていたドアのことですがね、ちょうどついでですから、あなたに傷を負わされたグリゴーリイ老人の、きわめて興味深い、そしてあなたにとってもわれわれにとってもこの上なく重要な証言を、今ここでお伝えしてかまわんでしょう。意識を取り戻したあと、われわれの質問に対して老人がはっきり、くどいくらいに語った話によると、表階段に出て、庭になにやら物音をききつけたので、開け放されたままになっている木戸から庭に入ってみようと決心した段階で、庭に入るなり、あなたがすでに供述なさったように、開け放した窓ごしにお父上の姿を見て暗闇の中を逃げてゆくあなたの姿に気づく前に、グリゴーリイ老人は左手に目をやって、たしかにその窓が開いているのを見たそうですし、同時に、そのずっと手前にあるドア、つまり庭にいた間ずっと閉ったままだったとあなたが主張なさっておられる例のドアが開け放されているのに気がついたそうです。あなたには隠さずに申しあげますが、グリゴーリイ自身は、あなたがそのドアから逃げだしたにちがいないと固く断言し、証言しているのです。と言っても、もちろん彼は、あなたが走りでるところを自分の目で見たわけではなく、老人がはじめてあなたを見つけたのは、もうだいぶ離れた庭の中で、塀の方に逃げてゆくところを・・・・」、つまり「自分の目で見たわけではな」いのです。
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