「フェチュコーウィチ」の弁論の続きです。
「・・・・しかし、それならなぜ、たとえば、このような事態を仮定してはいけないでしょうか? つまり、フョードル・カラマーゾフ老人は家にこもりきりで、ヒステリックな待ち遠しい思いで恋人を待っているうちに、突然、退屈しのぎに封筒を取りだして、封を切ろうという気を起した。『封筒を見ただけじゃ、まだ信用しないかもしれない。百ルーブル札を三十枚一束にして見せれば、効目は強力で、よだれを流すことだろう』こう考えて彼は封筒を破って、金を取りだし、封筒は持主みずからの手で床に投げすてられたのです、もちろん証拠も何も心配せずにです。いかがですか、陪審員のみなさん、こうした仮定や事実以上に、可能性のあるものが存するでしょうか? なぜこうであってはいけないのでしょう? しかし、もしこれに類したことが起りえたとすれば、そのときは強盗容疑はひとりでに消滅するのです。金はなかったし、したがって盗みもなかったのです。封筒が床に落ちていたのが、それに金の入っていた証拠だとするなら、なぜわたしが正反対のことを、すなわち封筒が床にころがっていたのは、もはやそれに金が入っていなかったからであり、その金はあらかじめ持主自身が取りだしていたのだ、と主張してはいけないのでしょう? 『だが、フョードルが自分で封筒から金をぬきだしたとしたら、その金はいったいどこへ行ったのか、家宅捜索の際に発見できなかったではないか?』と言われるかもしれない。しかし第一に、金の一部は彼の手文庫から見つかりましたし、第二に彼は朝のうちなり、前の晩なりに金を取りだして、別のことに使い、支払いなり送金なりをしたかもしれませんし、最後に、自分の考えや行動計画を根本的に変更し、それを前もってスメルジャコフに知らせる必要をまったく見いださなかったかもしれないのです。こういう仮定がたとえ可能性だけでも存在するとしたら、いったいどうして、殺人は強盗を目的として行われ、実際に盗みがあったなどと、あれほど執拗に、あれほど断定的に被告を糾弾することができるのでしょうか? こんなふうにしてわれわれは、小説の領域に踏みこんでしまうのです。これこれの品物が盗まれたと主張するのであれば、その品物を示すなり、少なくともその品物が存在したことをたしかに証明する必要があります。ところが、それを見た者は一人もいないではありませんか。最近ペテルブルグで、十八歳の、ほとんど子供にひとしいような、零細な行商人の若者が、白昼、斧を持って両替屋に押し入り、度はずれな典型的な大胆不敵さで店の主人を殺し、千五百ルーブルを奪った事件があります。五時間後に若者は逮捕され、すでに使ってしまった十五ルーブル以外は、千五百ルーブルをそっくり身につけておりました。そればかりではなく、事件のあとで店に戻った番頭が、盗まれた金額だけではなく、その内訳を、つまり虹色の札が何枚、青いのが何枚、赤が何枚、金貨が何枚でその内訳はこれこれと、そこまで警察に届け出たのです。そして、逮捕された犯人はまさにそのとおりの紙幣と金貨を持っていたのであります。おまけに自分が殺してこの金を盗んだという、犯人の正直な完全な自供もとれました。陪審員のみなさん、わたしが証拠とよぶのはこういうものであります! この場合なら、金を知っているし、実際に見て、さわりもできるのですから、そんな金はないだの、なかっただのと言うことはできません。だが本事件の場合もそうでしょうか? しかも、これは生死の問題であり、人間の運命の問題なのであります。『なるほど。しかし、被告はその夜豪遊し、金をまき散らして、千五百ルーブルも持っていた。その金はどこで手に入れたのか?』と言うかもしれません。だが、わかったのが千五百ルーブルだけで、あとの半分はどんなことをしても見つけだし、発見することができなかったという、まさにそのことによって、その金がまったく別の、一度も封筒にしまわれたことのない金だったかもしれぬ点が証明されるのであります。時間的な(それもきわめて厳密な)計算によると、被告は女中たちのところから官吏ペルホーチン氏の家をさしてとびだし、家にもどこにも寄らず、その後ずっと人前に身をさらしており、したがって三千ルーブルのうち半分を取り分けて、町のどこかに隠したりできなかったことは、予審でも認められ、立証されております。そして、まさにこの事情こそ、金がモークロエ村のどこかの隙間に隠されているという、検事の推測の原因ともなっているのです。これではウドルフ城(訳注 イギリスの作家ラドクリフの小説にある城)の地下に隠されている、というのと同じではありませんか、みなさん? こうした推測はとっぴではないでしょうか、小説的ではないでしょうか? しかも、いいですか、この推測、つまり金がモークロエに隠されているという推測が消滅しただけで、いっさいの強盗容疑は宙に消えてしまうのです。なぜなら、そうなるとその千五百ルーブルはいったいどこに行ってしまったことになるのでしょう? 被告がどこにも寄らなかったことが立証されている以上、その金はいかなる奇蹟によって消えたしまったのでしょうか? しかもわれわれはこんなお話で一人の人間の一生を滅ぼそうとしているのであります!・・・・」
ここで切ります。
「フェチュコーウィチ」は「イッポリート」の想像した犯罪の仮定に対して、別の仮定を想像してみせます、そしてその仮定が成り立つ以上、「疑わしきは罰せず」という態度をとっています、この「疑わしきは罰せず」と言う言葉は「事実認定の過程を裁判官の側から表現したものである。これを、当事者側から表現した言葉が推定無罪であり、ふたつの言葉は表裏一体をなしている。」とのことです、その起源は「フランス人権宣言(1789年)第9条で『何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される。ゆえに、逮捕が不可欠と判断された場合でも、その身柄の確保にとって不必要に厳しい強制は、すべて、法律によって厳重に抑止されなければならない。』と規定されたのに始まり、現在では、市民的及び政治的権利に関する国際規約第14の2や、人権と基本的自由の保護のための条約第6条など各種の国際人権条約で明文化され、近代刑事訴訟の大原則となっている。」とのことです。
「ウドルフ城」は(訳注 イギリスの作家ラドクリフの小説にある城)ですが、「ラドクリフ」は「アン・ラドクリフ(Ann Radcliffe 1764年7月9日 - 1823年2月7日) はイギリスの女流小説家。ゴシック小説の大家として知られ、代表作は『ユードルフォの秘密』と『イタリアの惨劇』。」とのことです、「ウドルフ」というのは、「ユードルフォ」のことでしょうか、『ユードルフォの秘密』という長編小説は1794年に出版され、内容は「1584年のフランス、ガスコーニュ地方、ガロンヌを舞台に話は始まる。母親の死後にエミリーと父親は地中海へ向けて旅行する。彼女はそこでヴァランコートという若い男性と知り合い恋に落ちる。その後父親は死亡、孤児となったエミリーはおばの所に預けられるが、恋仲にあった二人の仲を義理のおじモントーニ伯爵が無理矢理引き裂いて、エミリーをユードルフォ城に監禁してしまった。そのカラクリ屋敷で彼女は様々な奇怪現象に襲われる。その後に逃亡してかつての恋人と再会し、結婚する。因みにジェーン・オースティンはこの作品を参考に『ノーサンガー僧院』を書いた。」とのことです。
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