「フェチュコーウィチ」の弁論の続きです。
「・・・・『それでもやはり、被告は所持していた千五百ルーブルをどこで手に入れたか、説明できなかったし、そのうえ、その夜まで被告が文なしだったことは、みなが知っているのだ』と言う人もいるでしょう。では、だれがそれを知っていたのですか? ところが被告は、どこから金を手に入れたかという明快な、確固とした供述を行なっておりますし、もしお望みなら、陪審員のみなさん、お望みなら申しますが、この供述ほど確かな、それだけではなく被告の性格や精神に符号するものは、これまで何一つありえなかったし、あるはずもないのです。検事には自分の小説がとても気に入った。だから、あれほど屈辱的にいいなずけから突きつけられた三千ルーブルを、受けとることに決めたほど意志の弱い人間が、半分だけ取り分けてお守り袋に縫いこんだりするはずがない、それどころか、かりに縫いこんだとしても、一日おきに袋を開けて百ルーブルずつ取りだし、ひと月の間にその調子で全部使いはたしてしまうにちがいない、などど言うのです。これらすべてがいかなる反駁も許さぬ口調で述べられたことを、思い起していただきたい。だが、もし事態がまったくちがうふうに、そう、あなたの創った小説とは違う形で進行し、そこに登場するのが全然別の人間だとしたら、どうなるのです! あなたが別の人間を創りだしたことこそ、問題なのです! おそらく、こんな反駁も出るでしょう。『被告が惨劇の一カ月前にカテリーナ・ヴェルホフツェワ嬢から借りた三千ルーブルを、全部モークロエ村で、一カペイカの金でも棄てるようにいっぺん使ってしまった証人が何人もいる。とすれば、半分を取り分けておけるはずがない』と。しかし、その証人たちはどういう人間でしょうか? それらの証人の信憑性の度合いは、すでに法廷で暴露されたのです。そればかりではなく、他人の手にあるパンは大きく見えるものです。最後に、これらの証人のうちだれ一人、金を自分で数えたわけではなく、目分量で判断したにすぎません。現に証人のマクシーモフ氏は、被告が手にしていたのは二万ルーブルだったと証言しているほどではありませんか。どうです、陪審員のみなさん、心理学が両刃の刀であるため、わたしはここでもう一方の刃を当ててみたいと思います、同じ結論が出るかどうか、見ようではありませんか。事件の一カ月前、被告はヴェルホフツェワ嬢から三千ルーブルの金を郵送するよう預かったのですが、ここに一つ問題があります。その金が、先ほど叫ばれたような恥辱と屈辱をこめて預けられたというのは、はたして本当でありましょうか? この問題に関するヴェルホフツェワ嬢の最初の証言では、そうではなかった。まったく違っていたのです。ところが二度目の証言でわれわれが耳にしたのは、恨みと復讐の叫びであり、永い間秘められていた憎悪の叫びでありました。証人が最初の供述で正しくない証言をしたという一事だけでも、それなら二度目の証言も正しくないかもしれぬと推断する権利を、われわれに与えてくれるものです。検事はこのロマンスに言及することを《望まないし、その勇気もない》(これは本人の言葉であります)という。それも結構でしょう。わたしも言及せぬことにします。しかし、あえて一つだけ指摘しておきますが、かりに清純で高潔な女性が、そして尊敬すべきカテリーナ・ヴェルホフツェワ嬢はまさしくそうした女性なのでありますが、そういう女性が法廷で突然、被告を破滅させようという露骨な目的で、最初の証言を一挙にくつがえしたとすれば、その証言が公平かつ冷静になされたものでないことは、明白であります。復讐を誓った女性ならいろいろと誇張して言いかねないと推断する権利をも、われわれは奪われるのでしょうか? そう、まさしく金をさしだしたときの恥辱と不名誉とを誇張するのです。むしろ反対にあの金は、受けとりやすい形でさしだされたに違いありません、特に被告のような軽率な人間にとっては、なおさらのことであります。何より、被告はそのとき、計算からすれば当然自分のものとなるべき三千ルーブルを父親から近々受けとることを念頭においていたのです。これは軽率ではありますが、まさにこの軽率さゆえに被告は、父親がきっと支払うだろう、その金が入れば、つまりいつでもヴェルホフツェワ嬢から預かった金を郵送して、借りをなくせると、固く信じていたのでした。・・・・」
ここで切ります。
なるほど検事は「あれほど屈辱的にいいなずけから突きつけられた三千ルーブルを、受けとることに決めたほど意志の弱い人間」や「被告が惨劇の一カ月前にカテリーナ・ヴェルホフツェワ嬢から借りた三千ルーブル」などというように当時のお金を受け取り方の状況を判断しているようです、しかし実際には「フェチュコーウィチ」が言うように、というか私が思うにそれはそのままモスクワに送るためという単にそれだけのものだったのではないでしょうか、その時の「カテリーナ」にしても、その金を「ドミートリイ」が使い込むことをわかっていながら渡したのではないと思います、そういった意味では、つまり渡したお金は裏にいろいろなことを含んだお金ではなかったという意味ですが、彼女の一度目の証言も二度目の証言も実際とは違っているのではないでしょうか。
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