万事ぬかりなく運びました。
彼はほとんど昨日と同じ個所で生垣を乗りこえ、こっそりあずまやに忍びこみました。
人に見とがめられたくありませんでした。
主婦にせよフォマーにせよ(かりにここにいての話だが)、兄の味方をして、兄の言いつけを守るかもしれない、とすれば「アリョーシャ」を庭へ入れぬなり、兄を探してたずねまわっている者がいることを事前に兄に知らせるなりしかねませんでした。
あずまやにはだれもいませんでした。
「アリョーシャ」は昨日と同じ場所に腰をおろして、待ち受けにかかりました。
あずまやを見まわしてみると、なぜか昨日よりずっと古ぼけたものに見え、今日はひどくやくざなものに思われました。
どうして今日はそんなふうに見えるのでしょう、作者がわざわざ言及しているのですから何らかの理由はあるのでしょう。
もっとも、天気は昨日と同様、明るく澄みわたっていました。
緑色のテーブルの上に、きっと昨日コニャックのグラスからこぼれたのだろうが、丸いしみが印されていました。
退屈な待ち時間の常で、何の役にも立たぬ下らぬ考えが頭にうかびました。
一例をあげれば、なぜ今ここへ入って、昨日とまったく同じ場所に坐ったのだろう、どうして別の場所に坐らなかったのだろう、といった考えです。
これは、私も全く同じことを思いましたので、このような描写がされているのはうれしく思います。
やがて気がひどく滅入ってきました。
成行きのわからぬ不安から気が滅入ったのです。
ただ、ものの十五分と坐っていないうちに、突然とこか非常に近くでギターの和音がきこえました。
前から坐っていたのか、それともたった今腰をおろしたところなのか、せいぜい二十歩と離れていない、どこか茂みの中にだれかいるのです。
「アリョーシャ」の心の中をふいに、昨日あずまやの兄のところから帰りしなに左手の塀のわきに茂みの間に、庭園用の古い、緑色の低いベンチを見た、というより目にちらと映ったような記憶がよぎりました。
昨日のあずまやの描写のときには、この「庭園用の古い、緑色の低いベンチ」のことには触れられていませんでしたので、作者としてはめずらしく伏線を残していませんでした。
ですから、ここで取ってつけたような形になっています。
つまり、あのベンチにだれか腰をおろしたのです。
それにしても、だれだろう?
突然、男の声がみずからギターで伴奏しながら、甘たるい裏声で詩の一節をうたいだしました。
抑ええぬ力もて
いとしき君に心ひかるるわれ。
主よ、憐れみたまえ
かの君とわれを!
かの君とわれを!
かの君とわれを!
声がとぎれました。
卑しげなテノールで、歌の節まわしも卑しげでした。
と、ふいに別の、今度は女の声が、なんとなくおずおずした、しかしひどく気どった口調で、やさしく言いました。
「どうしてすっかりお見限りなの、パーヴェル・フョードロウィチ、いつもあたしたちを軽蔑してらっしゃるのね?」
「とんでもないですよ」
男の声が、いんぎんにではあるが、頑なほど揺るがぬ自尊心をこめて答えました。
どうやら男のほうが余裕があり、女は機嫌をとっているようでした。
『男はスメルジャコフらしいな』
「アリョーシャ」は思いました。
『少なくともあの声からしてそうだ。女はきっとここの家主の娘にちがいない。モスクワ帰りで、長い裳裾のついたドレスを来て、マルファのところへスープをもらいに来るというあの娘だろう・・・・』

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