二 ギターを持つスメルジャコフ
それに暇もありませんでした。
「リーズ」と別れの挨拶を交わしていたときから、すでに一つの考えがひらめいていたのでした。
考えとはつまり、自分を避けて身を隠している兄「ドミートリイ」を、どうすれば今もっとも要領よく捕まえられるだろう、ということでした。
すでに早い時刻ではなく、午後二時をまわっていました。
「アリョーシャ」は修道院で死に瀕している《偉大な人》のところへ、身も心もとんで行きたかったのですが、兄「ドミートリイ」に会わねばという気持がすべてに打ち克ちました。
「アリョーシャ」の頭の中で、避けられぬ恐ろしい悲劇が今にも起りかねぬという確信が、時を追うごとに強まっていました。
(493)で言っていた「秘密の悲しみ」とはこのことでしょうか、まだわかりませんが。
その悲劇がいったい何であり、今この瞬間兄に何を言いたいのか、おそらく彼自身もはっきりしなかったにちがいありません。
『恩人が僕の留守中に亡くなっても仕方がない、それでも僕は少なくとも、自分が救いえたかもしれぬものを救わずに、わきを素通りし、さっさとわが家へ帰ったなどと、自分を一生非難しつづけずにすむのだ。こうすることが、長老の偉大な言葉どおりに振舞うことになるのだ』
彼の計画は、兄「ドミートリイ」を不意に捕まえることでした。
ほかでもない、昨日のように生垣を乗りこえて、庭に入り、例のあずまやに忍びこむのです。
『もし兄があそこにいなかったら』
「アリョーシャ」は思いました。
『フォマーにも、家主の母娘にもことわらずに、あずまやに身をひそめて、たとえ晩まででも待っていよう。もし兄さんが相変わらずグルーシェニカの来るのを見張っているとしたら、あずまやにくる可能性は大いにあるからな・・・・』
もっとも「アリョーシャ」は計画の細部にわたってあまりいろいろと考えたわけではありませんでしたが、たとえ修道院へ今日じゅうに帰れぬ羽目になろうと、計画を実行しようと決心しました・・・・
普通に考えると「アリョーシャ」のとった行動より、死にゆく《偉大な人》のもとに行く方が自分を「一生非難しつづけずにすむ」のではないかと思います。
しかしそうしなかった訳は、兄「ドミートリイ」が必ず何か取り返しのつかぬような悪いことを実行するという強い確信があることと、「ゾシマ長老」との精神的な繋がりの強さがあるということでしょう。
なかなか、このように考え、行動することは、常人にはできることではありません。

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