「アンドレイ」は疲れはてた三頭立てをギャロップで駆りたて、本当ににぎやかな音をさせながら高い表階段に乗りつけると、汗だらけになって息もたえだえの馬をぴたりと止めました。
原文はどうなっているのか知りませんが「本当ににぎやかな音をさせながら」の「本当に」というのがたいへん面白いと思います、「本当に」という言葉は普通ならこの場合は不要かもしれませんが、この言葉によって語り手と文章との距離感がわかります。
「ミーチャ」が馬車からとびおりました。
ちょうどそのとき、寝室に引き上げようとしていた宿の主人が、こんなに威勢よく乗りつけたのは何者だろうと好奇心を起して、表階段からのぞいてみました。
「トリフォン・ボリースイチ、お前か?」
主人は身をかがめて、じっと目をこらしたあと、まっしぐらに表階段を駆けおり、卑屈な喜びを示して客に走りよりました。
「旦那、ドミートリイさまじゃございませんか! またお目にかかれるなんて!」
この「トリフォン・ボリースイチ」は、やや小太りの顔をした、中背の、がっちりした頑健な百姓で、一徹そうな厳格な顔つきは、モークロエの百姓たち相手のときにはとりわけはなはだしかったが、儲けにありつけそうな気配を感じとると、すばやくその顔をきわめて卑屈な表情に変える才能を持っていました。
いつも襟の斜めについたルバーシカに半外套という、ロシア風の服装をしており、すでに相当な金を貯めこんでいるのですが、たえずもっと良い役割を夢みていました。
「ルバーシカ」の説明はウィキペディアは「ブラウスないしスモック風のプルオーバータイプのシャツ・上着で、もとはウクライナの農民の衣装でルバーハ(Rubakha)と呼ばれた。19世紀末から20世紀初頭にかけて、襟部や袖口にカラーやカフスがつくようになった。名称もルバーハが愛称、通称化してルバシカに変化した。ルバシカは男女両用であり、身頃がゆったりとしていて、詰襟、前開きは左脇または右脇寄りになっている。前開きは、途中までボタンで留る。襟や袖口などにロシア風の刺繍が施してある。着用時には裾はズボンの外に出してベルトを締める。晩年のレフ・トルストイがルバシカを着用していたため、インテリゲンツィアを中心にロシア社会に広まった。日本でも戦前、戦後を通じ、トルストイ主義者を中心に着用する者が見られた。ロシア語のРубашкаはシャツ全般を指し、民族衣装のルバシカに限らない。」とのこと。
村の百姓の半数あまりは彼に頭があがらず、みんなが動きのとれぬほど彼に借金していました。
彼は地主たちから土地を借りたり、自力で買いとったりし、その土地を百姓たちが、一生逃れられぬ借金の代償に耕すのでした。
彼は男やもめで、成人した娘が四人いました。
長女はもう未亡人で、彼の孫にあたる二人の幼な子といっしょに彼のもとで暮し、彼のために日雇いで働いていました。
百姓娘まるだしの次女は、どこかの書記を勤めあげた官吏と結婚していましたので、宿屋の一室の壁にかかっている家族たちの写真の中に、制服に肩章をつけたこの官吏の、豆粒のような写真も見いだせるはずでした。
下の娘二人は、教会の祭日やどこかへ客に行くときは、背中をきつく絞って七十センチもの長い裳裾を引きずった、流行の仕立ての紺や緑色のドレスを着て、めかしこむのですが、その翌朝はいつもと同じように、夜の明けぬうちに起きだして、白樺の箒を手に客室の掃除をしたり、残飯をかつぎだしたり、泊まり客のちらかしたごみを片づけたりしていました。
どうしてここまで詳しく「トリフォン・ボリースイチ」やその家族のことを描写しているのでしょう、ここでの人物描写は物語的には重要とはいえない彼自身を描くのが目的ではなく、当時のロシアの農村の典型ともいえるような社会状況を描きたかったのでしょう。
もう何千という金を儲けたにもかかわらず、「トリフォン」は豪遊する客からごっそり頂戴するのが大好きでしたし、まだひと月とたたぬ以前、「ドミートリイ」が「グルーシェニカ」と豪遊しに来たときに、彼からわずか一昼夜の間に、三百とは言わぬまでも二百ルーブルあまり絞りあげたことはよくおぼえていましたので、今も「ドミートリイ」が表階段に馬車を乗りつけた様子だけでもう、またしても儲けの匂いを嗅ぎつけ、喜色満面でまっしぐらに迎えに出たのでした。

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