「イワン」はここでふいに部屋を出た形になりましたが、もう廊下を十歩ほど行きすぎたころになってやっと、「スメルジャコフ」の最後の一句に何か無礼な意味が含まれていたことを、突然感じました。
この描写は私の思うところと一致しているようで、嬉しいです、極端に言えば作者と一緒に物語を作ってるような錯覚を覚えるようなのです。
引き返す気になりかけましたが、ちらとそう思っただけで、『ばかばかしい!』と言いすてるなり、いっそう足早に病院を出ました。
何より、彼は本当に気持が落ちついたのを、それも本来なら反対の結果になるのが当然という気がしそうなものなのに、犯人が「スメルジャコフ」ではなく、兄の「ミーチャ」であるという事態によって安心したのを、感じていました。
(952)でも「イワン」は「・・・むしろ反対に、俺の気持を落ちつかせてくれたことを、感謝しているんだ」と言っています、がこれはおかしなことですね、「落ちつく」という表現もおかしいのですが、「イワン」は「ドミートリイ」が犯人であってほしいのでしょうか。
なぜそうなったのかを、そのときの彼は分析しようと思わなかったし、自分の感じ方を掘りさげることに嫌悪さえおぼえていました。
「イワン」にはその心理を後でぜひ分析してほしいものです。
できるだけ早く、どうにかして何かを忘れてしまいたい気持でした。
その後数日の間に、「ミーチャ」を苦しくしたすべての証拠をさらにくわしく、徹底的に知りつくすに及んで、彼はもはや兄の有罪をすっかり信じました。
まったく取るに足りぬような人たち、たとえば「フェーニャ」やその母の、しかしほとんどショックに近いような証言もありました。
「ペルホーチン」や、飲屋や、プロトニコフの店や、モークロエの証人たちについては、もはや語るに及びません。
何より、細部の事実が苦しくしていました。
秘密の《ノック》の話は、ドアが開いていたという「グリゴーリイ」の証言とほとんど同じ程度に、予審調査官や検事をおどろかせました。
「グリゴーリイ」の妻「マルファ」は、「イワン」の質問に対して、「スメルジャコフ」が夜どおし衝立一つへだてた、《わたしどもの寝床から三歩と離れぬ》ところで寝ていたことや(訳注 前出の個所では隣の小部屋にスメルジャコフが寝かされたことになっていたが、このあと第七章のスメルジャコフの告白から考えても、同じ部屋の衝立の奥に寝かされていたと解釈するほうがよいだろう)、彼女自身ぐっすり眠ってはいたものの、隣で「スメルジャコフ」が呻くのをきいて、何度も目をさましたことを、はっきりと述べました。
「小部屋」については、(575)で「病人は離れの、グリゴーリイとマルファの部屋に隣合った小部屋に寝かされました。」、(714)の「癲癇に倒れたスメルジャコフは、隣の小部屋で身動きもせずに寝ていました。」、(781)の「目ざめを促したのは、隣の小部屋に意識不明のまま寝ているスメルジャコフの、恐ろしい癲癇の悲鳴でした。」と「寝ぼけまなこで跳ね起きると、彼女はほとんど夢中でスメルジャコフの小部屋にとんで行きました。」、(782)の「灯をつけて見ると、スメルジャコフはいっこうに発作の鎮まる様子もなく、自分の小部屋でもがいており、目をひきつらせ、唇から泡が流れていました。」に出てきました。
「夜っぴて呻いてましたよ、ひっきりなしに呻きつづけでして」
「ヘルツェンシトゥーベ」と話して、「スメルジャコフ」はいっこう狂っているように見えず、衰弱しているだけのようだがという疑念を伝えてみましたが、それもこの老人の微妙な笑いを誘ったにすぎませんでした。
「あの男が今特に熱中しているのが何か、ご存じですか?」
老人は「イワン」にたずねました。
「フランス語の単語をせっせと暗記しているんですよ。枕の下にノートが置いてあって、フランス語の単語をだれかにロシア文字で書いてもらってあるんです、へ、へ、へ!」
「イワン」はついにいっさいの疑念を放棄しました。
何かを忘れるために、何かに夢中になることもあると思いますが。
もはや兄「ドミートリイ」のことを、嫌悪なしに考えることさえできませんでした。
が、それでも一つだけふしぎなことがありました。
ほかでもない、「アリョーシャ」が頑なに、殺したのは「ドミートリイ」ではなく、《十中八、九》「スメルジャコフ」だと、主張しつづけていることでした。
「アリョーシャ」がこのように言うことはあまりないことだと思いますが、この彼の重大な確信がどこから来たものなのか聞いてみたいですね。
「イワン」はかねがね、「アリョーシャ」の意見が自分にとって大切なものであることを感じていましたので、今度は非常に不審でなりませんでした。
また、「アリョーシャ」が彼とは「ミーチャ」の話をしようとせず、自分からは決して切りださずに、「イワン」の質問に答えるだけなのも、ふしぎでした。
そのことも「イワン」は強く気にかかりました。
もっとも、この当時彼は直接的な関係のまったくない、さる事情にすっかり気をとられていました。

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