2018年12月12日水曜日

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「お前だって神を信じていないんだろう?」

「イワン」は憎さげにせせら笑いました。

「つまり、どう言えばいいかな、もし君が真剣に・・・・」

「神はあるのか、ないのか?」

また有無を言わせぬしつこさで「イワン」が叫びました。

「じゃ、君は真剣なんだね? ねえ、君、本当に僕は知らないんだよ、いや、たいへんなことを言ってしまったな」

「知らない」ということは、わからないということでしょうか、自分で「たいへんなことを言ってしまった」と言っていますので神の存在がわからないというのは「悪魔」の本心なのでしょう、しかしなぜこれが「たいへんなこと」なのか、つまり「悪魔」は「イワン」の内部の存在ですので、「イワン」が神の存在についてわからないということでしょう。

「知らなくても、神の姿は見えるんだろ? いや、お前は一個の独立した存在じゃない、お前は俺(一字の上に傍点)なんだ、俺以外の何物でもない! お前なんぞ屑だよ、俺の幻想だ!」

ここで「イワン」は「知らなくても、神の姿は見えるんだろ?」と言っていますが、これは「イワン」には「悪魔」の姿が見えることを「悪魔」に仮託して言っているのかもしれません。

「つまり、もしお望みなら、君と同じ哲学を持ってもいいんだよ、それなら公平だろう。われ思う、ゆえにわれ在り(十一字の上に傍点)、だからね。これなら僕もたしかに知っているよ。そのほか、僕の周囲にあるものはみな、この世界も、神も、悪魔そのものさえも、はたしてそれが独立して存在するのかそれとも単に僕の発散物にすぎないのか、太古から個として存在している僕の自我の連続的な発展でしかないのか、僕にとってはまだ証明されていないんだよ・・・・一口に言や、僕は急いでこの話を打ち切ることにするよ、だって君が今にもとびかかってきそうな気がするからね」

「この世界」「神」「悪魔」などは、①実存するのか、②幻想か、③「太古から個として存在している僕の自我の連続的な発展」か、ということですが、③がわかりにくいですね、永遠の精神のようなものでしょうか。

「われ思う、ゆえにわれ在り」とは、ネットで調べると、「デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題」であり、「全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。「自分は本当に存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。―“自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。コギト命題といわれることもある。哲学史を教える場合の一般的な説明によれば、デカルトはこれを哲学の第一原理に据え、方法的懐疑に付していた諸々の事柄を解消していった、とされる。また、これを意識の「内部」の発見と位置付けることもできる。中世までの哲学では、意識の内部と外部の問題系というものがなかった。いいかえれば、内部に現われている観念(表象)と外部の実在が一致すると思いなされてきた。ところが、デカルトの方法的懐疑はまずこの一致の妥当性を疑った。すなわち、表象と実在は一致するのではなく、むしろ表象から実在を判断することは間違いを伴う、というのである。「一度でも間違いが起こった事柄に関しては全幅の信頼を寄せない」とするデカルトは、それでもやはり、絶対確実なものを見つけようと試みた。ここで、絶対確実なものとは、表象で直観されたものから実在に関する判断が直接に導かれる事柄のことである。そして、このようなものとは、実は「絶対確実なものを見つける」という試みそのものを可能にする、「私は考える」という事実であった。これによって、意識の「内部」としての「考えるところの私」が確立し、そこに現われている観念と外部の実在との関係が、様々な形で問題に上るようになった。例えば、「観念に対応する実在はいかに考えられるべきか」や「もっとも確実な観念はなにか」といった問いがあげられよう」、とのこと。

「それより何か一口話でもする方が利口だろうよ!」

「イワン」は病的に言いました。

「一口話なら、まさに僕らのテーマにぴったりのがあるよ。つまり、一口話じゃなく、伝説だけどね。君は現に、『姿が見えるのに、信じない』と言って僕の不信を非難している。でもね、君、それは僕だけじゃないんだよ、僕らのほうじゃ今やみんな頭がぼんやりしちまったんだ、すべて君らの科学のせいだよ。原子だの、五感だの、四大自然(訳注 地水火風をさす)だのだけだったころは、まだどうにかなっていたんだ。古代にも原子はあったからね。ところが、君たちが、《化学分子》だの、《原形質》だの、そのほか得体の知れぬものを発見したということを知って、僕らは尻尾を巻いてしまったのさ。それこそ大混乱がはじまった。何よりも、迷信だの、デマだのがはびこる。僕らのところにだって、デマは君らのところに負けぬくらいあるからね。むしろ、ちょっぴり多いくらいさ。さして最後には、密告がさかんになる。僕らのほうにも、ある種の《情報》を受けつける役所があるんだよ。ところで、この荒唐無稽な伝説は、まだ中世の、といっても君らの中世じゃなく、僕らの世界の中世の話で、体重百キロの商家のおかみさん以外、つまりこれもまた君らのじゃなく、僕らの世界のおかみさんだけど、それ以外はだれも信じないような話なんだ。君らの世界にあるものはすべて、僕らのところにもあるんだよ。禁じられてはいるんだが、友情から君に一つだけ僕らの秘密を打ち明けるんだがね。この伝説は、天国の話だ。昔この地上に一人の思想家、哲学者がいて、《法律も、良心も、信仰も、ことごとく否定し》(訳注 グリボエードフ『智恵の悲しみ』の中の台詞)、何よりも、来世を否定したんだそうだ。さてその男が死んで、てっきりそのまま闇と死の中へ行くと思っていたのに、目の前に来世があらわれた。男はびっくりして、憤慨し、『これは俺の信念に反する』と言った。そのために男は裁判にかけられた・・・・つまり、いや、勘弁してくれたまえ、僕はきいた話をそのまま伝えているんだから。これはただの伝説にすぎないんだよ・・・・そして裁判の結果、男は闇の中を千兆キロメートル歩きぬいて(僕らのほうも今やメートル法なんでね)、その千兆キロが終ったとき、天国の扉を開いて、すべてを赦してやることに決った・・・・」

『智恵の悲しみ』は、「ロシアの劇作家グリボエードフの四幕喜劇。1824年作。舞台は1820年代のモスクワ。3年ぶりに外国の旅から帰ったチャツキーが旧知のファームソフ家でみたものは尊大と追従(ついしょう)、因習と愚昧(ぐまい)の世界であった。彼は舞踏会でこの汚辱に満ちた上流階級を面罵(めんば)するが、かえって狂人扱いされる。封建的農奴制ロシアに対する痛烈な風刺喜劇として、多くの台詞(せりふ)が慣用句となり登場人物の名が普通名詞となったほどである。戯曲は厳しい検閲にあい、作者の生前には上演を許されず、本文は写本として流布、1858年国外で、62年ロシア本国で初めて出版された。[野崎韶夫]『米川正夫訳『知恵の悲しみ』(『ロシア文学全集35』所収・1959・修道社)』とのこと。

《原形質》とは、「原形質(げんけいしつ、英: protoplasm)とは、細胞の微細構造が知られていなかった時代に作られた言葉で、細胞の中にある「生きている」と考えられていた物質のことである。具体的には、核と細胞質(一般に細胞膜を含む)を指す。細胞の活動によって作られた『生きていない』物質、例えば細胞膜外の細胞壁や、細胞膜内の脂肪滴や澱粉粒などは原形質に含まず、後形質(副形質)と呼ぶ。」とのこと。

「グリボエードフ」は「アレクサンドル・グリボエードフ(1795年1月15日 - 1829年2月11日)は、帝政ロシアの外交官・作家・作曲家。1829年、シャーのハーレムから逃げ出してきたアルメニア少女数名を、ロシア大使館にかくまい、シャーの引渡し要求も拒否した。この出来事を、第二次ロシア・ペルシア戦争後にロシア帝国とガージャール朝ペルシャの間に結ばれた不平等なトルコマーンチャーイ条約の象徴だとみなした暴徒が大使館に押し入り、グリボエードフは惨殺された上、斬首された。」とのこと。

「お前たちのあの世には、その千兆キロ以外に、どんな苦しみがあるんだい?」

なにか異様に張りきって、「イワン」がさえぎりました。

「苦しみだって? ああ、きかないでほしいな。以前はいろいろあったんだが、この節はもっぱら精神的なものがはやりだして、《良心の呵責》なんて下らんものになっちまった。これも君らの、《慣習の緩和》とやらのせいで、はやりだしたのさ。これで、だれが得をしたと思う。得をしたのは良心のない連中だけさ。なぜって、良心がまるきりなけりゃ、良心の呵責もへちまもないからね。その代り、まだ良心や誠意の残っていたまともな人たちは苦しむようになったわけだよ・・・・これだから、まだ準備もととのわぬ地盤に、それもよその制度をまる写しにした改革を行うなんて、害をもたらすだけさ! 昔の火あぶりのほうがよかったろうにね。ところで、千兆キロの旅を言い渡された男は立ちどまって、あたりを眺めると、道の真ん中に寝そべっちまったのさ。『歩くなんていやなこった。俺の主義からも歩くもんか!』ロシアの教養ある無神論者の魂をぬきだして、これを鯨の腹の中で三日三晩も拗ねていた預言者ヨナの魂と混ぜ合せると、まさに道に寝そべったこの思想家の性格ができあがるわけだよ」

《良心の呵責》とは、「悪いことをしてしまった自分自身に対して、心を痛めること。いけないとわかっていながら、ついやってしまったことを思い出して、心の中で苦しむこと。うしろめたさ。罪悪感。」とのことですが、《慣習の緩和》のせいで《良心の呵責》がはやりだしたというのですから、これはどういうことでしょうか、「まだ準備もととのわぬ地盤に、それもよその制度をまる写しにした改革を行うなんて、害をもたらすだけさ」とつづきますから、これは、ロシアの改革ことを言っているのでしょう。


「ヨナ」は「旧約聖書の『ヨナ書』における主人公で、『ヨナ書』によれば、アミタイの子ヨナに『主の言葉が臨んで』、『立って、あの大きな町ニネヴェに行き、これに向かって呼ばわれ。彼らの悪がわたしの前に上ってきたからである。』と言われた。しかし、ニネヴェは当時のイスラエルの敵であったアッシリアの首都であったため、ヨナはこれを拒否。逃げようとして別方向の地中海の彼方のタルシシュへ向かう船にのる。しかし船が嵐に襲われたことからヨナの事情が他の船員の知るところとなり、海に放り込まれる。海はしずまった。ヨナは巨大な魚にのまれて3日3晩腹の中で祈っていた(ヨナ書1章 - 2章)。ヨナは魚に吐き出されて陸地にでるとニネヴェに向かい、『あと40日したらニネヴェは滅びる。』と預言した。意外なことに異教徒であるニネヴェの民はそろって改心したため、神は災いを下すのをやめた(ヨナ書3章)。この成り行きに怒ったヨナはニネヴェの成り行きを見極めようとして町の東に小屋を建ててすわっていた。神が暑さに苦しむヨナのためにとうごま(トウゴマ)の木を育ててヨナに日陰を作った。ヨナはとうごまを非常に喜んだが、神は翌日にこのとうごまを枯らした。とうごまの木のことで『生きるよりも死ぬ方がましです。』と怒るヨナに対し、神は『あなたは労せず、育てず、一夜に生じて一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは12万あまりの、右左をわきまえない人々と、多くの家畜とのいるこの大きな町ニネヴェを、惜しまないでいられようか。』と教える(ヨナ書4章)。」とのことです。


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