吹雪は相変らずつづいていました。
最初の五、六歩を彼はさっそうと歩きましたが、ふいにその足がふらつきはじめたかのようでした。
『これは肉体的なものだろう』
苦笑して、彼は思いました。
さながら喜びに似た気持が今や彼の心に湧きました。
彼は自己の内部に限りない意志の堅固さを感じました。
最近あんなにひどく自分を苦しめていた迷いも、いよいよこれで終りなのだ!
決意はできたし、『もう変ることはない』-幸福な気持で彼は思いました。
そのそたん、突然何かに蹴つまずいて、危うく倒れそうになりました。
立ちどまって、足もとをよく見ると、さっき彼に突き倒された百姓が相変らず同じ場所に、気を失ったまま、身動きもせずに倒れていました。
この百姓は先ほど「イワン」が突き飛ばして意識を失った男ですね、普通は殺人罪に問われると思います。
吹雪がもはやその顔全体を埋めていました。
「イワン」はいきなり百姓をかかえ、かつぎました。
右手の家に灯りが見えましたので、歩みより、鎧戸をたたいて、応答したこの家の持主である町人に、百姓を警察へ運ぶのに手を貸してくれるよう頼み、その場で三ルーブルの駄賃を約束しました。
町人は支度をして、出てきました。
わたしはここで、このとき「イワン」が首尾よく目的をはたし、すぐに医師の診察を受けさせるために百姓を警察にかつぎこみ、その際にもまた《経費いっさい》分として気前よく支払ったことを、くわしく描くつもりはありません。
一つだけ言っておきたいのは、これらすべてにほとんどまる一時間もかかったということです。
「わたし」が登場してわざわざ言っているのですが、「ほとんどまる一時間もかかった」というのは、反対にこれだけのことをしてたった一時間でおさまったのかと疑問をいだきますが。
しかし、「イワン」は非常に満足でした。
思考がそれからそれへと枝をひろげ、働きました。
『明日に向けてこれほど固い決心ができていなかったとしたら』
ふいに快感をおぼえて彼は思いました。
『あの百姓を助けるのにまる一時間も道草したりせず、そのまま素通りして、あいつが凍死しようと唾でも吐きすてるだけだったにちがいない・・・・それにしても、これほど自分を観察することができるとはな!』
こんなことを考えるとは「イワン」はひどい男ですね。
その瞬間、いっそう強い快感とともに彼は思いました。
『ところがあの連中は、俺が気違いになりかけていると、決めてかかったんだからな!』
わが家に帰りつくと、彼は突然、唐突な疑問をいだいて立ちどまりました。
『今すぐ、これから検事のところへ行って、すべてを申し立てる必要はないだろうか?』
彼はふたたびわが家の方に向きを変えて、この疑問を解決しました。
「ふたたびわが家の方に向きを変えて」ということは、家に背を向けていたということですね。
『明日、全部ひとまとめにしよう!』
この考えが、諸悪の根源です、「イワン」は「スメルジャコフ」の告白を聞いたのですから、いち早く検事のところへ行くべきなのです、明日では遅く、今すぐに行くしか選択肢はないのです。
彼は心につぶやきました。
と、奇妙なことに、ほとんどすべての喜びが、自分に対する満足が、一瞬のうちに消え去りました。
部屋に足を踏み入れたとき、ふいに何か氷のようなものが心に触れました。
それは、まさしくこの部屋に現に存在し、また以前にも存在した、何かやりきれぬほどうとましいものの思い出であり、もっと正確に言えば、警告でありました。
彼は疲れきってソファに腰をおろしました。
老婆がサモワールを運んできました。
彼はお茶を入れましたが、口をつけませんでした。
老婆に明日まで暇を出しました。
ソファの坐って、めまいを感じました。
病気で、虚脱しているのが感じられました。
うとうとしかけましたが、不安にかられて立ちあがり、眠気を追い払うために部屋の中を歩きだしました。
ときおり、うなされているような気がしました。
しかし、いちばん気がかりなのは、病気ではありませんでした。
また腰をおろすと、彼はときおり何かを見つけだそうとそうるかのように、あたりを見わたしはじめました。
何度かそんなことがありました。
ついに視線が食い入るように一点に注がれました。
「イワン」は苦笑しました。
が、怒りの血が顔を染めました。
彼は両手で頭をしっかり支え、真向いの壁ぎわに置かれているソファの、前と同じ一点を、やはり横目でにらみながら、永いこと自分の席に坐っていました。
明らかに、そこにある何かが、何らかの対象が、彼を苛立たせ、不安にさせ、苦しめているようでした。
私はこの「ある何か」の正体を知っています、次に出てきますので。

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