2016年4月14日木曜日

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最初の妻「アデライーダ」の死を知った「フョードル」がとったふたつの正反対の行動のうちの歓喜の方で、彼が叫んだという福音書の一節は、ルカによる福音書第二章二十九節で、「今こそ去らせて下さいます」という言葉ですが、これは注釈によると願いがかなったことを意味するそうですから、「フョードル」は「アデライーダ」にこの世からいなくなってほしいと頭のどこかで願っていたのでしょう。

この「フョードル」の泣き笑いのような滑稽な行動について作者は、「フョードル」が「自分の解放を喜ぶのと、解放してくれた妻をしのんで泣くのとが、いっしょになったのであろう。」と説明しています。

「解放」と言うからには、「フョードル」は、そのような去り方をした妻であっても、彼女のことにどこかで束縛されていたということで、無意識のうちかも知れませんが、余程のプレッシャーを感じていたのでしょう。言葉を変えれば、肩の荷が下りたということでしょうか。

後で出てくるのですが(294)このとき、帽子に喪章をつけたまま飲んだくれたり、乱行の限りをつくしたりしていたそうです。

少々生々しいとは思いますが、相手が生きている、ということはそういうことかも知れませんね。
「フョードル」のようなタイプの人間でもそうなのですから。

しかし、作者の偉いところは、人間はたとえ悪党でさえも、「われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ」と、私たちがいつも忘れそうになるようなことを正直にかつ勇敢に持ち上げているところです。

ここで、私は疑問を持ってしまいました。

「アデライーダ」が死んだ情報が入ったのは、彼女の実家です。
そして、死因はチフスとか餓死とかはっきりしません。
それに、彼女は喧嘩しても「フョードル」を殴るような「並はずれた体力に恵まれ」ていたということです。

ですから、正解はわかりませんが、これは「フョードル」を来させないための嘘の情報だったのではないでしょうか、しかし、こんな疑問は本筋とはぜんぜん関係のないことなのではありますが。


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