2016年4月18日月曜日

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そのような人たちと親交のあったという登場人物「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、やはり思想的にも影響を受けていて、かなり自由主義的な行動者と言えます。

ドストエフスキー自身も政治思想的なことに、積極的にかかわった人ですから、「プルードン」や「バクーニン」と親しいと設定したこの人物には相当の思い入れがあったと思います。

しかし、ドストエフスキー自身の考え方は当時の思想的な最前線とは少し距離をおいて独特な立場でしたので、この人物も好意的ではありますが、どこか腰の座らぬ新しもの好きという姿に描かれているように思います。

そして、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、後年は、自分の放浪生活の中の楽しかった思い出話として、1848年のパリの2月革命の時に自分ももう少しでバリケード戦に参加するところだったと回想して物語るのが好きだったそうです。

この歴史的な2月革命で、パリの市民・労働者・学生は三色旗や赤旗を掲げ、労働歌を歌いながらデモ行進し、バリケードを築いたそうです。
そのような革命的な運動に「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は参加しそうだったとの本人の弁ですが、どういう成り行きで参加しなかったのかはここでは書かれていません。

そして、王政が倒れ、共和政が成立しました。この運動は近隣諸国だけでなく全世界に影響を与えました。

この頃まだ日本は鎖国中で、5年後にペリーが黒船でやってきます。


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