2016年4月20日水曜日

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「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「フョードル」に対し、「ドミートリイ」の養育を引き受けたいと申し出ます。

作者はその時の「フョードル」の反応の仕方を詳細に描写しています。

まず、どこの子供の話だろうという顔をし、次に自分の家のどこかに幼い子供がいることをいぶかる様子をしたというのです。

この不可思議な反応について、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「フョードル」の特徴的な一面としてしばしば話していたそうです。

普通に考えれば、自分の子供のことですので、この対応はありえないと思うのですが、作者は、「ミウーソフの話に誇張がありうるとしても、やはり何かしら真実に近いものはあるにちがいない」と書いています。

そして、作者の秀逸な人間観察は続きます。

「だが、事実フョードルは一生を通じて、演技するのが、それも突然なにか意外な役割を、しかも肝心なことは、たとえば今の場合のようにみすみす自分の損になるとわかっているときでさえ、何の必要もないのに演技してみせるのが好きな男であった。もっとも、こうした性質は、べつにフョードルに限らず、きわめて多くの人につきもので、非常に聡明な人にさえまま見られるものである」と。

人が損得勘定なしに行うというこの動作は、本能と呼ばれてもいいものかもしれません。

もしも、自分はそういうことをしたことはないという人は、その行動を無意識に別の動機と結びつけて、合理的な整合性をとっていて気付かないのかもしれません。

しかしこの場合「演技」というからには、たんに、わかっているのにすっとぼけて時間稼ぎをしているだけではなく、もっと積極的ですね。


相手と自分の複雑な感情のやり取りを想定しているだけでなく、瞬時に自分と自分を分離させて別の人格を作って演技しているわけで、そこには対人関係を解くヒントがあるかもしれません。


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