2016年5月10日火曜日

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「イワン」は目立つほど勉強ができましたので、「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」は彼に英才教育を受けさせたのです。

ここで、作者は「確かなことは知らないが」と前置きをしてはおりますが、「イワン」が入った全寮制の中学校というのは、当時有名だった、ある教育家の学校でした。

そして、その教育家は「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の少年時代からの親友でした。

そして、これは、「イワン」自身がのちに話したこととされていますが、この教育家は「天才的な才能をもつ子供は天才的な教育家のもとで教育されるべきだという思想」の持ち主で、それに賛同した「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の《善事に対する情熱》からそうされたのだそうです。

作者のこのあたりの設定の仕方は、つい読み流してしまいそうですが、たいへんな心配りがあり、すばらしいと思いました。

私は、「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」が「アレクセイ」を家に置いて「イワン」を外に出したということについて、ちょっと・・・と、かすかにやもやしたものを感じていたのですが、そんな小さな違和感もこの説明的ともいえる展開で消えてしまい、逆に現実味をおびて次の展開を期待させてくれます。

作者は、ここ以外でも、場所はすぐに指摘できないのですが、このようなさりげない心配りの文章を多用しています。
ちなみにここでの心配りとは以下のようなことです。

1.教育家の存在の現実感を出すために、そして、軽い揶揄が含まれているようにも思われる「確かなことは知らないが」と、わざわざ加えた前置きのこと。

2.貴族会長「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の少年時からの親友ということで想像される裕福な環境にある教育家の人柄と、ふたりのめぐまれてはいるがある意味で閉鎖的な関係のこと。

3.教育家の思想を家を出た当の「イワン」に語らせたことによって、「イワン」自身の置かれた環境に対する自分の内部での納得の仕方と自己の微妙な葛藤の有り様についてを暗示させているところ。


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