ここで作者は次のような、見方によっては滑稽でもある文章を続けています。
「しかし、青年が中学を終えて大学に入ったときには、ポレノフも、天才的な教育家も、すでにこの世にいなかった」と。
あれほど熱意をもって教育に取り組んでいた人たちでしたが、自然の法則にはさからうことはできず、肝心な時には、二人そろってこの世から消え去ってしまいました。
つわものどもが夢のあと、ではないのですが、人生の悲哀のようなものを感じます。
彼らの高尚な教育理念の実験台にされたと言えば言い過ぎでしょうが、ひとり残されたのは「イワン」でした。
そして「ヴォロホフ将軍の未亡人」が「イワン」に残してくれた千ルーブルの遺言金は利子が付いて、2千ルーブルに増えており、「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の善意によって、手付かずでそっくりそのまま残っていました。
ここまではよかったのですが。
しかし、「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の手続きの不手際に加えて、当時のロシアではよくあったらしいですが、役所の形式主義と仕事の遅さのために、お金を引き出すことができませんでした。
0 件のコメント:
コメントを投稿