2016年5月14日土曜日

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「イワン」は新聞社の編集部と顔をつなぎ、その後も関係を絶たぬようにして、大学生活の後半には専門テーマの本に関して才気溢れる書評を発表しはじめました。

当時のロシアの大学は何年制だったのでしょう、彼の2千ルーブルはもう引き降ろせるようになっていたのではないでしょうか。
当初はあれほど待ち望んだはずのお金でしたが、彼はまだ手を付けなったようです。
いや、前に「大学の最初の二年間」は自分で生活費を稼ぎながら、と書かれていましたので、少しは生活の足しにしたのかもしれません。
すぐ後に書かれているのですが、このお金は主に彼が大学卒業後に外国に行く資金として使われます。

今ほどではないでしょうが、マスコミに少し名前が売れ出すとその影響は大きく、彼は文学者たちにも知られるようになりました。


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