ここで再び「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」の登場です。
彼は、「フョードル」の最初の妻の従兄で、召使小屋にいた「ドミートリイ」を引き取ってモスクワの従姉にあずけ、すぐにパリに行った人です。
それから、修道院に訴訟も起こしていましたね。
その彼がパリからこの町に「たまたまこのころ」戻ってきていて、自分の領地で暮らしていました。
彼も「イワン」の論文のことを知っていたのでしょう、当然「大いに関心」をそそられました。
そして、「イワン」と「近づき」になり、「時にはいささか内心の苦痛をおぼえながら知識を競い合ったこともあるほど」でした。
リベラリストの「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」と「イワン」はお互いにいい話相手だったのでしょう。
「時にはいささか内心の苦痛をおぼえながら」と書かれていますので、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は自分の政治的活動のことなども話し、過去のことをいろいろと思い出していたのでしょう。
しかし、このふたりの間には距離感があります。
ここで、しつこいようですが再び「わたし」が出てきます。
「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」が「わたしら」に語ったというのです。
その内容は、「イワン」のプライドのことや彼がこの町に来たことに対する疑問、また、彼がお金目当てで「フョードル」のところにいるのではないことや、その「フョードル」が「イワン」と仲よくなったことの驚きなどです。
こんなことを「わたしら」に話したということは、「イワン」とは心が通っていませんし、友達になろうともしていませんね。
むしろ、こちら側からあちらを覗いたという感じでみんなに言いふらしています。
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