2016年5月27日金曜日

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母の「ソフィヤ・イワーノヴナ」が亡くなったのは、「アリョーシャ」がまだ数えの4つのときでした。

そして、幼少時の別れにもかかわらず彼が母のことをよく覚えていたことは、前に書かれています。

その文章は「実にふしぎなことではあるが、彼がそのあと一生、もちろん、夢のなかのようにぼんやりとにせよ、母親をおぼえていたのを、わたしは知っている」と書かれていました。

しかし、ここではこう書かれています。

「彼がそのあと終生、母の顔立ちや愛撫を《まるで生ある母が目の前に立っているように》おぼえていたことは、すでに述べたとおりである」と。

両方の文章をくらべると、前は、ぼんやりとおぼえていたのですが、後の方ははっきりと、というようにかなり印象が違いますね。

やはりこの違いも前者は「わたし」が介在していて、後者は作者が直に述べていることだからでしょうか。

これに続く文章は、もっと変です。

「こうした思い出はもっと幼い、二歳ころからでさえ、心に刻まれうるものであるが(これも周知の事実だ)」と。

ここにきて、幼少時の記憶の起点が4歳から2歳へと変わっています。

しかも、(これも周知の事実だ)と書いていますので、後からまわりの誰かに聞いて、軌道修正をはかっているかのような書き方ですね。


私は前の文章をささっと手直しすれば、読者は何のひっかかりもなく読み進んでいけると思いますが、このようなひっかかりがあることによって、その後の作者の悪戦苦闘の手直しが生じ、それが作品の厚みにもなっているのかも知れません。


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