ここで、記憶というものについて、一般的にどういうあらわれ方をするのかということが書かれています。
それは、「闇の中の明るい点」か「全体はすでに色あせ消えてしまった巨大な絵からちぎりとられ、わずかにそれだけ残った小さな片隅」のようにあらわれてくると言っています。
たとえば、昔見た映画のシーンなどではそういうことがありますね。
しかし、私は自分のことを考えてみると、絵の一部分が特別に記憶に残っているということはありません。
これは作者の妻が書いた回想録に書かれていたことですが、ドストエフスキーはラファエロの『システィーナの聖母』を人類の最高傑作と言って、この絵の前で感動し興奮し何時間も立ちつくしていたのだそうです。(下の写真です)
この絵は、265cm×196cmの巨大な絵で、聖シクストゥスと聖バルバラを両脇にして、聖母マリアが幼児キリストを抱きかかえており、下の方にふたりの天使が描かれています。
ドストエフスキーは晩年、ある伯爵夫人から周囲の人物をのぞいた原寸大の聖母子部分だけの複製を送ってもらい、自室のソファーの真上に飾ってしばしば絵の前にたたずんで、深い感動にひたっていたそうです。
これは、先ほどの「巨大な絵」からちぎりとられた「小さな片隅」にぴったりと当てはまるエピソードですね。
むしろ、「小さな片隅」をじっと凝視することによって、まわりの全体が暗く消えそうになることだってあるかもしれません。
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