2016年5月29日日曜日

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「アリョーシャ」の覚えている母「ソフィヤ・イワーノヴナ」の記憶は次のようなものでした。

「開け放された窓」に「沈みかけた太陽の斜光(この斜光がいちばん強く心に残っていた)」が差し込み、「部屋の一隅の聖像」の前に「ともっている燈明」があり、母は聖像の前にひざまずいていました。

ここまでは美しい情景ですが、一変します。

母はヒステリーのような金切り声や叫び声をあげながら幼い「アリョーシャ」を痛いほどぎゅっと両手で抱きしめて、聖母マリヤの庇護を求めるかのように祈りながら彼を聖像の方にさしのべていました。
「・・・そこへ突然、乳母が駆け込んできて、怯えきった様子で母の手から彼をひったくる」
「こんな光景なのだ!」
「アリョーシャが母の顔を記憶にとどめたのも、その一瞬だった」
「その顔は狂おしくこそあったが、思いだせるかぎりの点から判断しても、美しかったと、彼は語っていた」

以上が「アリョーシャ」が一生おぼえていたという母の記憶ですが、これは、記憶の断片というよりは、小さなストーリーをなしています。

感嘆符が付けられるほどに実に緊迫した状況の奇妙な記憶で、彼はその記憶の中でも特に太陽の斜光が印象に残り、狂ったような美しい母の顔を生涯にわたって覚えていたのです。

そして、乳母が「怯えきった様子で母の手から彼をひったくる」ところが、非常に大きな意味を持ち、この複雑な感情をともないうる悲惨な記憶が彼に与えた影響は計り知れないものがあるのではないでしょうか。

「アリョーシャ」を宗教の道にみちびいたのもこういうことなのかもしれません。


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