「アリョーシャ」には美しい母の思い出を話すような相手は「めったに」いなかったそうです。
しかし「めったに」と書かれいますから、兄の「イワン」には話したのかもしれませんね。
「イワン」とは、6年くらいだと思うのですが、同居していますので。
少年時代と青年時代の「アリョーシャ」は、ほとんど感情を表にあらわさず、口数も少なかったそうです。
しかしそれは、変なふうに人を疑ったり、内にこもったり、気むずかしかったり、人見知りだったというのではなく、彼には自分の内面の悩みとでもいうものがあって、それがその時の彼にとってはかなり重要なことと思っていましたので、そういったことに夢中になるあまり他者との関係がおろそかになったせいなのです。
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