「アリョーシャ」が久しぶりにこの町の父「フョードル」の家に戻ってきたのは20歳のときでした。
当時、「フョードル」の家は彼の放蕩の巣窟のようになっていました。
そのような経験のない若い「アリョーシャ」にとっては、見るに堪えぬような場面ですが、そんなときでも彼は、「ただ黙って席をはずすだけで、だれに対しても軽蔑や非難の色など露ほども示さなかった」そうです。
これには、「フョードル」も驚いたでしょう。
「フョードル」はかつて居候暮らしの経験もあってか、侮辱されることには敏感で、「勘の鋭い」ところがありました。
たとえば「ソフィヤ・イワーノヴナ」と一緒になるときや「ドミートリイ」と会ったときもそうでしたが、彼は自分の全く個人的なゆがんだ基準で、人の心を見透かしてそれを逆手にとるようなところがありましたね。
最初のうちは、「フョードル」は何も非難めいたことも言わない「アリョーシャ」に対して、「疑い深そうな気むずかしい顔で息子を迎えた」そうです。
作者は括弧書きで、「フョードル」は「やけに黙りこんでやがるけれど、肚の中でさんざ非難してやがるんだろう」と誰かに言っていたと、書いています。
こんなことまで、他人に喋っていたのですね。
「フョードル」は自分が悪いことをしているという自覚はあるからそうなるのだと思いますが、どんな顔をして接すればいいのか迷うほど「アリョーシャ」の態度が腑に落ちなかったのでしょう。
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