「アリョーシャ」がお金のことや世間のことに無頓着なのは、彼の人柄をほんの少しでも知った人ならすべて、彼がいわゆる「神がかり行者」のような人物だと思って納得するでしょう。
ですからたとえ、突然に大金をもらったとしても、頼まれればあげてしまうだろうし、たとえば慈善事業に寄付したりもするだろうし、ペテン師にだって頼まれたら渡してしまうほどなのです。
ここで、浮世離れした「神がかり行者」って何でしょう。
「ユロージヴイ」と言語の読みのルビがふられ、さらに括弧書きの訳注で(狂人にひとしい苦行僧で、予言の才があると信じられていた)と書かれています。
何となくわかるような気がしますが、たとえば昔、村や町のどこかにそういう人がいたというような話を聞いたことがありますが、それは「アリョーシャ」のイメージとちょっと違いますね。
ここでまた、亀山郁夫さんの光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟1」の「読書ガイド」を見てみましょう。
亀山さんは、「神がかり行者」を「神がかり」と訳しています。
他にも「瘋癲行者」「聖痴愚」「佯狂者」「聖愚者」などの訳があるそうです。
その特徴として、「何よりも社会的ルールや通念から自由である点、財産を持たず、半裸や裸足の姿で歩き回り、常軌を逸した言動を見せ、時には権力者に歯向かうこと、などがある。」そうです。
そして権力者も、「通常の人々より神に近いとされ、人々から深く敬われる」「神がかり」に手をかけることはなかった、と。
ドストエフスキーはこの「神がかり」をこよなく愛し、多くの小説で登場させているとのことです。
ここでまた、亀山郁夫さんの光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟1」の「読書ガイド」を見てみましょう。
亀山さんは、「神がかり行者」を「神がかり」と訳しています。
他にも「瘋癲行者」「聖痴愚」「佯狂者」「聖愚者」などの訳があるそうです。
その特徴として、「何よりも社会的ルールや通念から自由である点、財産を持たず、半裸や裸足の姿で歩き回り、常軌を逸した言動を見せ、時には権力者に歯向かうこと、などがある。」そうです。
そして権力者も、「通常の人々より神に近いとされ、人々から深く敬われる」「神がかり」に手をかけることはなかった、と。
ドストエフスキーはこの「神がかり」をこよなく愛し、多くの小説で登場させているとのことです。
「アリョーシャ」はそこまではいかないと思いますが、お金の価値などについては「まるきり知らぬにひとしい」のです。
ですから小遣いなど自分から頼んだことは一度もなく、たとえもらったとしても、ずっと使い道がわからないか、あっという間に使ったりなんかするでしょうと書かれています。
あの、金銭とブルジョワ的公正ということに関しては口やかましい「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」が後日、あるときしみじみ「アリョーシャ」を見つめてから、こんな名文句を吐いたことがあったといいます。
「ひょっとすると彼は、人口百万の見知らぬ都会の広場にいきなりただひとり、無一文で置き去りにされても、決して飢えや寒さで滅びたり死んだりすることのない、世界でたった一人の人間かもしれないね。」そして、そうなっても彼なら誰かにすぐに食事や居場所を与えられるだろうし、そうでなくてもひとりで何の努力や屈辱も感じないで落ち着き場所を見つけることでしょうし、また、居場所を与えてくれた相手もそれを重荷には感じさせないし、むしろ反対に相手に喜びさえ感じさせるかもしれないと。
聞けば聞くほど主人公の「アリョーシャ」はかなり特殊な人物との印象が強くなってきて、今後の展開に一抹の不安を覚えます。
ここで、冒頭の「作者の言葉」で書かれていいることをおさらいしましょう。
作者は、主人公として設定した「アリョーシャ」のことを「人間として彼は決して偉大ではない」、「こんなつつましい、とらえどころのない主人公」などと書いています。
そして、そんな主人公のことをなぜ小説に書くのか、という読者からの質問を予想してとまどいを覚えています。
しかし、作者は、「わたしにとって彼はすぐれた人物である」と言い切っていますし、そして「わが主人公アレクセイ・フョードロウィチの意義」がその特殊な奇人ぶりの中に時代の核心のようなものを含んでいるのだというようなことも言っています。
ここで、冒頭の「作者の言葉」で書かれていいることをおさらいしましょう。
作者は、主人公として設定した「アリョーシャ」のことを「人間として彼は決して偉大ではない」、「こんなつつましい、とらえどころのない主人公」などと書いています。
そして、そんな主人公のことをなぜ小説に書くのか、という読者からの質問を予想してとまどいを覚えています。
しかし、作者は、「わたしにとって彼はすぐれた人物である」と言い切っていますし、そして「わが主人公アレクセイ・フョードロウィチの意義」がその特殊な奇人ぶりの中に時代の核心のようなものを含んでいるのだというようなことも言っています。
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