2016年6月9日木曜日

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「アリョーシャ」は6~7歳のときに、将軍夫人の筆頭相続人である篤実な「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」に引きとられたのですが、彼が死んでからもさらに2年県立中学に在籍しました。

県立中学と書かれていますが、この当時のロシアの教育制度について、やはり亀山郁夫さんの光文社古典新訳文庫の「カラマーゾフの兄弟2」の「読書ガイド」に書かれています。

それによると、中学は3年が原則で入学年齢については特別な規定はなかったそうです。

ということは、彼は中学をまるまる1年残して中退していますので、入学してすぐに「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」は亡くなったことになります。

さて、「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」亡き後すぐに、傷心のポレノフ夫人は女性だけの家族全員を連れて長期のイタリア旅行に旅立ちました。

そして残された「アリョーシャ」は「エフィム・ペトローウィチ・ポレノフ」の親戚らしい二人の婦人の家に引きとられましたが、自分自身はどういう条件で引きとられたのかも知りませんでしたし、自分が誰のお金で暮らしているのかもよくわかっていませんでした。

このように、普通の人ならば、気にするようなことにまったく気づかないのは「アリョーシャ」らしいと言えばそうなのですが、この性格は兄の「イワン」とは正反対でした。

「イワン」の場合は大学の最初の二年間は働きながら苦労して貧乏生活をつづけ、幼いころから見知らぬ人の情けで生活していることに息ぐるしさを感じ、苦い思いを味わっていました。

むしろ「イワン」の方が普通の感情だと思うのですが、作者は「アリョーシャの性格のこんな奇妙な一面を、あまりきびしく難ずるわけにはゆかぬような気がする」と書いています。

作者は少し「アリョーシャ」に甘いように思えるのですが、さて、それにはどんな理由があるのでしょうか。


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