「フョードル」の荒廃した日々の生活の中において、「アリョーシャ」が戻ってきたことは幸いであったと言えるでしょう。
年よりはやく老けこんだこの老人に「はるか昔にしぼんでいた何者かが目ざめたように見えた。」そうです。
それは、言葉のいい意味での前向きなことではありません。
「フョードル」のどうしようもない過去だけあって、「目ざめた」としても、それはやはりどうしようもない過去のことでした。
しかし、過去をどんどん切り捨てていく彼にとっては、あくまでも彼にとってはなのですが、なつかしい昔の記憶のひとつではあったのでしょう。
彼は「アリョーシャ」をまじまじと眺めながら、「あの癲狂病み」に「瓜二つだぞ」と言うようになりました。
彼の亡妻で「アリョーシャ」の母の「ソフィヤ・イワーノヴナ」のことを「あの癲狂病み」と言うのですからどうしようもありませんね。
そして、「フョードル」が忘れていた「あの癲狂病み」の墓の場所を「アリョーシャ」教えたのは、結局、陰気で愚かで意固地な理屈屋と形容された召使の「グリゴーリイ」なのでした。
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