「鈎がなけりゃ」と「フョードル」の自問的な会話は続きます。
自分のような破廉恥きわまりない人間だって、鈎がなければ、地獄へ引きずっていかれないだろうし、もしそうだとすると「真実はどこにあるんだい?」と。
「だから、ぜひともそれを、その鈎を考えだす必要があるんだよ。俺だけのためにも、特別にな。」
酔払ってはいますが、「フョードル」のするどい宗教批判です。
ここにきて、はじめて「アリョーシャ」がひとこと、まじまじと父を見つめながら静かに言葉をはさみます。
「でも、地獄には鈎なんてありませんよ。」
これから修道院に入ろうという人としては、これも思い切った発言だと思いますが、「フョードル」はさらにその上をいきます。
「そうさ、そうだとも。あるのは鈎の影だけだよな。それは知ってるよ。」と。
そして、「フョードル」は17世紀のフランスの詩人、シャルル・ペローが地獄のことをうたった詩を引用します。
『わたしの眼に映じたのは、ブラシの影で馬車の影を拭いている馭者の影であった』
そもそもシャルル・ペローという人はどんな人でしょうか。
じつは日本でもよく知られている『長靴をはいた猫』や『赤ずきん』や『眠れる森の美女』などの作者なのです。
私はまったく知りませんでしたが、昔話や民間伝承を童話として書いた人だそうです。
それだけではなく、学芸に関して古代人と近代人のいずれが優れているかをあらそった「新旧論争」でも有名なようです。
岩波文庫から「完訳ペロー童話集」が出版されています。
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