「フョードル」は「アリョーシャ」の発言に驚いたのでしょう。
ある意味自分と同じだと思ったのではないでしょうか。
「お前はどうして、鈎がないってことを知ってるんだ?」
そして、「しばらく坊主のところにいりゃ、そんな台詞は吐かなくなるだろうよ。」
この部分というのは、私には理解しづらいのですが、本当の宗教者というのは、天国や地獄が実在すると考えている人たちで、そこに至らぬ宗教的な人たちがたくさんいて、彼らはそれらをただ「影」として、つまりイメージとして頭の中に持っているだけの人たちということでしょうか。
そうするとかなりハードルが高くなりますが、本当はそれが宗教と非宗教を分ける壁なのでしょうか。
そうするとかなりハードルが高くなりますが、本当はそれが宗教と非宗教を分ける壁なのでしょうか。
彼は「アリョーシャ」が修道院に入って、宗教に関する「真実を探りあてたら」帰ってきて話してほしいと、「地獄がどんなものかをちゃんと知っていれば、あの世へ行くのも気が楽だろうしな。」と言います。
これは、酔払いの発言とは思えませんね。
行って、覗いて、理解して、教えてくれということでね。
行って、覗いて、理解して、教えてくれということでね。
凡人が宗教を理解するには、本を読んだり、坊さんに聞いたりするより、身近な人が宗教の世界に出入りする経験を聞くのがいちばん説得力がありますね。
こういった発言を聞くと「フョードル」自身は「鈎がない」、つまり宗教などないと信じきって、自由気ままに生きている人間ではありますが、ただ身のうちのどこかに一抹の不安を抱えているのだと思います。
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