東方全体では、特にシナイやアトスなど、正教の長老制度の歴史は古くて、千年も昔から存在しているそうです。作者は「確かな説によれば」と前置きして、東方のシナイやアトスのように、古代のロシアにも長老制度は存在したが、諸事情によりこの制度が忘れ去られ、長老は途絶えたのだと言っています。
ここからはロシア史の勉強です。
諸事情としてあげられているのは、ロシアのさまざまな災厄や、タタールの支配、動乱、コンスタンチノープルの陥落後における東方とのそれまでの交渉の中断です。
まず、「タタールの支配」の訳注は(十三世紀から十五世紀にいたる二百年、ロシアはタタールに支配された)とのことで、これは、「世界史」の「タタールの軛」というやつで、『ロシア史では、モンゴル人に支配された時代を「タタールのくびき」といい、ロシア史においては、野蛮なモンゴルの圧政の下に高いキリスト教信仰を持つロシア民族が苦しんでいた時代』とネットに出ていました。
次に訳注があるのは、「動乱」、これは(イョアン四世の死後、一六〇四年から十三年までロシアは相つぐ内乱と、外的の侵入に苦しんだ)とあります。これは、「ロシアの大動乱」というそうですが、くわしいことは省略します。
最後は「コンスタンチノープルの陥落後」の後に訳注があり、(一四五三年トルコのスルタン、マホメットがコンスタンチノープルを占領)とありますが、これも詳細は省力します。
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