2016年7月13日水曜日

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「長老とはいったい何者なのか?」

それは、「すなわち、あなた方の魂と意志を、自分の魂と意志の内に引き受けてくれる人」なのです。

「いったん長老を選んだならば、あなた方は自己の意志を放棄し、完全な自己放棄とともに、自分の意志を長老の完全な服従下にさしだすのである」

そして、己れに打ち克ち、自己を制し、一生の服従を通じて、自分自身からの完全な自由を獲得するのです。

それは、「一生かかっても自己の内に真の自由を見いだせなかった人々の運命をまぬがれる」ことだと言います。

だから、人はこの試練、この恐ろしい人生の学校をすすんで受けるのだそうです。

このような長老制度は理論的なものではなく、千年におよぶ実際の経験から生まれました。

「自分自身からの完全な自由」とは何でしょうか、人は常に何かにとらわれており、それからの自由になることでしょうか、つまり歴史的、地域的、文化的、慣習的、道徳的に人をしばる余計なことを排して、本来の人間とはなにか気づかせることでしょうか、他には思い浮かびませんが、そういったことが、長老制度によって「自己の内の真の自由」を見いだすことに、どうしてつながるのか、わかりません。

確かに、自分の内面を、広く世間を知っていて公平な人物に託すことは、気持ちが楽になることではあるでしょう。

それは自分の中にある特殊性の幻想を放棄するというか、一般性に解消するという意味では救われる部分もあるかもしれませんが、そこで「自己の内の真の自由」を見いだすということは、そのような経験をしたことのないわたしには、実感としてわかりません。


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