《服従》と言っても、ロシアの修道院にも常に存在していた《服従》と違って、「長老に従う者すべての永遠の懺悔であり、結ぶ者と結ばれる者との間の断ちがたい絆である。」そうです。
次に、この長老との絆についての昔話が語られています。
ある修道僧が、何かはわからないが、長老に課された服従をはたさず、シリアからエジプトに行ってしまいました。
そこで彼は、長い間、偉大な功績を積み、最後は信仰のため拷問にあい、殉教の死をとげました。
教会はすでに彼を聖者と見なしていました。
しかし、遺体を葬るときに、「信じざる者、外に出でよ!」という補祭の高唱とともに、突然、棺がとびあがって、教会から放りだされました。
これが三度。
そして、人々は、彼が数々の偉業にもかかわらず、昔、長老の服従を破ったことに気づきました。
その長老の許可なしには赦しもありえませんので、長老を招聘して服従を免じ、はじめて葬式を行うことができたということです。
高唱のところに訳注があり、(正教の礼拝式で、この高唱の際に、キリスト教徒でない者は教会から出なければならぬとされていた)そうです。
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