長老との絆の話には、ごく最近の実話もあると言います。
アトスで行を積んでいたロシアの修道僧が突然、長老からあることを命じられました。
それは、アトスを離れ、エルサレムへ聖地巡礼に行き、ロシアに戻って、北国のシベリヤに行け、ということでした。
「お前のいるべき場所はここではなく、向こうなのだ」と。
彼はアトスを静かな隠れ場所として心底から愛していましたので、びっくりして悲しみに打ちのめされました。
そして、彼は、コンスタンチノープルの総主教のもとにおもむき、服従を免じてくれるよう懇願しました。
しかし、総主教は「服従を免ずることは総主教たる自分にもできぬばかりか、すでにいったん長老によって課された服従を免じうるような権力は、それを課した当の長老の権力以外に、この地上には存在しないし、存在しえないのだ」と答えたそうです。
この修道僧も、人事異動に不満のある社員が社長に直接掛け合うようなもので、客観的にみて無理ですね。
それにしても長老の権力は絶対なのですね。
例えはよくないですけど、親分に死ねと言われれば死ぬ任侠の世界みたいですね。
それだからこそ、長老はそれなりの人物が選ばれるのでしょうけど、呆けてきて変なことになったりはしなかったのでしょうか。
作者も書いていますが、「長老というものは、ある場合には、理解しえぬほどの無限の権力を与えられている。だからこそ、わが国では多くの修道院で最初のうち、長老制度がほとんど迫害に近い迎えられ方をしたのである。」と。
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