2016年7月16日土曜日

107

長老に絶対的権力を付与するこの制度はロシアの修道院では最初、迫害を受けましたが、民衆の間ではすぐに受け入れられました。

この町の修道院でもそうでした。

庶民だけでなく、高貴な人たちも長老の前にひれ伏して自分の迷いや罪業や悩みを告白し、忠告と訓戒を仰ごうとひきもきらずに押しかけてくるのでした。

これを見て、長老制度の反対者たちは、このようなことが行われると聖秘礼としての魂の懺悔告白の立場が軽々しくなり、卑しめられると非難しました。

長老制度には、他にもざまざまな非難がありましたが、それは書かれていません。

結局、長老制度はロシアの修道院に徐々に確立されていったそうです。

懺悔告白とは何でしょう。

すぐに思い浮かべるのは、教会のせ小さな密室(告解室)で司祭に秘密を打ち分けるシーンですが、これはカトリックの場合のことで、正教会の場合は痛悔機密(つうかいきみつ)というそうです。

Wikipediaでは「信者は司祭と並んで十字架と福音経が置かれたアナロイの前に立つ。一人ひとりが自らの罪を告白し、司祭はそれに対し信徒としての生活の改善の為に精神的助言を与える。最後に司祭は痛悔者の頭にエピタラヒリを載せ、十字を描き、神の赦しと和解としての祝福を行う。痛悔の内容が他人に聞かれる事がないように、堂内では別の信徒によって聖詠(詩篇)などが大きめの声で誦経される中で行われる事が多い。また、時課などの奉神礼が行われている最中に痛悔機密が並行して行われるケースも多い。」と説明があります。

これに対して長老制度は「人間を奴隷状態から自由へ、道徳的完成へと精神的に生まれ変わらせるため」試練済みであり、千年の歴史を持っています。

そして、作者は、この長老制度は、両刃の剣にもなりうるのであり、「温容と最終的な自制の代わりに、あべこべにきわめて悪魔的な傲慢さへ、つまり、自由へではなく束縛へと導かれる者も、おそらく出てくるにちがいない。」と警鐘的な言い方をしています。


0 件のコメント:

コメントを投稿