「アリョーシャ」が気づいていたことがありました。
それは「ゾシマ長老」とはじめて差向かいの話をした多くの者は「ほとんど全部といっていいくらい、入って行くときには恐れと不安に包まれているのに、長老の部屋から出てくるこきにはたいていの場合、晴ればれとした嬉しそうな顔になっており、どんなに暗い顔も幸せそうな顔に変わっている」ということです。
また、並はずれて「アリョーシャ」の心を打ったのは、長老がまったく「厳格でなく、むしろ反対にほとんどいつも対応が快活であること」でした。
「修道僧たちは長老のことを噂して、長老は罪深い者ほど愛着をおぼえ、いちばん罪深い人間をだれよりも愛するのだ」と語っていました。
しかし、長老はもう歳で、人生の終りに近づいていました。
それでも、修道僧の中には、長老制度に反対し彼を憎んだり、妬んだりする者もおりましたが、それももはや少数となりました。
その中には「もっとも古い修道僧の一人で、偉大な無言の行者であり、まれに見るほどの斎戒精進者である高僧のように、きわめて著名な、修道院での重要な顔ぶれも何人か入っていたにもかかわらず、もっぱら沈黙を守っていた」そうです。
しかし、圧倒的多数の修道僧たちは、「ゾシマ長老」派でした。
そして多くの者は長老を「心から、熱烈に、ひたむきに愛してさえいた。」のです。
そういった者のなかにはほとんど狂信的に惹かれている者もいました。
彼らは、あまりおおぴらにではないのですが、長老が聖人であることは疑う余地もないないことであって、「長老の死後ただちに奇蹟が生じてごく近い将来この修道院に大きな栄誉がもたらされることを期待していた」そうです。
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