「アリョーシャ」は長老の奇蹟力を絶対的に信じていました。
長老の力を示すたとえ話で、棺が教会から飛び出した話がありました。
この話は昔の伝説にすぎないと作者は書いていましたが、「アリョーシャ」はそれをも無条件に信じていたのです。
彼がどうして長老のことをこれほどまでに信じるようになったのでしょう。
人々は病気の子供や成人した肉親を連れて修道院を訪れ、長老が彼らの頭に手をのせて祈祷を読んでくれるよう哀願しました。
間もなく、なかにはその翌日に、また戻ってきて、涙を浮かべながら長老の前にひれ伏し、病人の快癒のお礼を述べるのでした。
「アリョーシャ」はこんな情景を何度も見るうちに長老を全面的に信じるようになったのです。
彼にとっては、それらの病気が長老のおかげで快癒したのか、そうでなくて自然に快癒したのかなどどいうことは、すでに問題ではありませんでした。
彼は、もうわが師の精神力を全面的に信じていましたし、長老の名声は自分自身の勝利にもひとしかったのです。
なんだか、「アリョーシャ」の中に長老がいて、一体化しているようですね。
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