2016年7月23日土曜日

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ここで、長兄「ドミートリイ」と次兄「イワン」の登場です。

「アリョーシャ」から見れば「ドミートリイ」は腹違いの長兄です。

次兄「イワン」が一足先にこの町に帰郷していました。

あとから「ドミートリイ」が帰省しますが、「アリョーシャ」がすぐに親しく打ちとけることができたのは「ドミートリイ」の方でした。

「アリョーシャ」は同腹でもある「イワン」のことをよく知りたいと関心をいだいていましたが、彼がこの町で暮らすようになってからもう二ヶ月になり、かなりひんぱんに顔を合わせてはいましたが、いっこうに親しくなれませんでした。

「アリョーシャ」はもともと口数が少なく、相手から「何かを期待するような、何か面映いような感じだったし」、「イワン」も、最初のうちは「アリョーシャ」が気づくほどまじまじと好奇の眼差しを注いでいたものだったが、間もなくそれもなくなりました。

「アリョーシャ」はそれに気づき、とまどい、いろいろなことを考えました。

「イワン」の自分にたいする無関心や冷淡さは、年齢も違うし、教養も違うからかもしれないし、また、もしかして何かわからないが、彼はきわめて困難な何らかの目的に向かってひたむきにすすんでいるので、自分になんかかまっていられないのだ、そして、それが時々彼が自分を放心したように見つめる理由かもしれないと思いました。

また、「アリョーシャ」は「イワン」が無神論者であることを知っていましたので、愚かな見習い僧でしかない自分に対する、学識豊かな無神論者としての軽蔑があるのではないかとも考えました。

「アリョーシャ」はそのような軽蔑があったとしても怒ることはできませんでした。

しかし、それでもやはり、「自分自身にもわからぬ何か胸騒ぎのする不安」をおぼえながら、兄が自分に近づく気になってくれるのを心待ちしていたのです。

ところで、「自分自身にもわからぬ何か胸騒ぎのする不安」という表現は宗教に身を捧げる決心をした「アリョーシャ」の存在自体を言い表しているように思います。

無神論者の兄「イワン」が「アリョーシャ」に近づくということは、「アリョーシャ」の思想の崩壊につながりかねませんが、「アリョーシャ」自身が心の中でその接近を望んでいたようなのです。


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