「イワン」は父の家で暮らしていましたが「ドミートリイ」は町の反対側のはずれに一人だけで別に暮らしていました。
「イワン」は父とは正反対の性格ではありましたが、みんなが不思議がるくらいにうまくやっています。
内心ではどう思っているのかわかりませんが、相性がいいのでしょうか、それとも忍耐強いのでしょうか。
一方「ドミートリイ」は現に争いの真っ最中で、そうでなくとも、ある意味父親と性格が似ており、反発しあって絶対に父とはうまくやっていけないでしょう。
ここでもう一人の人物が登場します。
当時この町で暮らしていた「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」です。
彼は亡くなった「フョードル」の最初の妻であり「ドミートリイ」の実母である「アデライーダ」の従兄で、リベラリストで、自由思想家で、無神論者です。
パリに長く住み、放浪生活を続けていた例の人です。
そして、若いころ、修道院に接する広い領地を相続したときに、文化的な市民として修道院に対抗するということで、河の漁業権とか森林の伐採権とかにかんする訴訟を起こしていた人です。
彼は、今回の家族会議に異常に興味を持っており、自分も参加することを希望しているのですが、その口実としたのが修道院との領地の争いを円満に打ち切るために自分も修道院長とじっくり話してみたいということなのです。
しかし、実際には、たぶん退屈しのぎか、でなければ軽薄な気晴らしのために、この問題に度はずれの関心をしめしたのです。
そのように、作者は、今回の「フョードル」の突飛な思いつきに大はりきりで飛びついて、だしぬけに修道院や《聖者》を見たくなったというこの人物に皮肉をこめて書いています。
修道院としては、この家族や「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」の訪問の意図について、それなりの理由があるものとして考えざるを得ません。
長老は病気を理由に一般の訪問客さえ断っている状態ではありましたが、修道院の方である程度の内部工作をしてくれたのか、結局のところは、長老が同意を与えて、日取りが決められたそうです。
長老は微笑を浮かべて「あの人たちの間で八つ裂きにするように、わたしを放り込んだのは、いったいだれだろうね?」と「アリョーシャ」に言いました。
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