「フョードル」の饒舌な道化ぶりもここまでくると、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」もあらかじめ予想してはいたものの、自分の伯母のことまで言われたこともあって、気が動転したのでしょう。
彼は「忍耐を失ったばかりか、われを忘れたようにさえなって、立ちあがった。彼は憤りにかられ、その姿がわれながらこっけいなことを意識していた。」そうです。
「たしかに庵室では何かまったくありうべからざることが起こりつつあった」のです。
以前の長老たちのころから、おそらく四、五十年、この庵室にさまざまな訪問者が集まってきましたが、みんな深い敬虔の念をいだいた人ばかりでした。
面会を許されるほとんどすべての人が、庵室に入りながら、自分たちは大変な恩恵に浴したことをさとり、大半の者がひざまずき、訪問の間じゅう立とうとしなかったそうです。
「《高貴な》人々や、もっとも学識の深い人たちの多くでさえ、いや、それどころか、あるいは好奇心で、あるいはほかの動機から来訪する自由思想の持ち主たちの一部でさえ、みなと連れだって庵室に入るなり、あるいは差向かいの面会を許されるなりすると、一人残らず、面会の間ずっと、きわめて深い敬意と、こまやかな心遣いという、ごく最初の義務に身を置く」のでした。
そして、ここでは別にお金はかかりませんし、「一方からは愛と慈悲」、相手側からは、「何かむずかしい問題とか、自分の心の生活のなかの困難な時期とかをなんとか解決したいという渇望と後悔とかがあるだけなのだから、なおさらのことだった」のです。
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