「フョードル」のこのような敬意を失した道化ぶりは、僧庵にとっても前代未聞のことでありましたし、「それを見た人々、すくなくともその中の一部の人々の心に、狐につままれたような思いとおどろきをひき起こし」ました。
さずがに司祭修道士たちは、表情を変えず、「長老が何と言うかを真剣な注意をこめて見守って」いましたが、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」同様に、「今にも立ちあがりかねぬ気配」でした。
「アリョーシャは泣きだす寸前で、うなだれたまま立って」いました。
そんな彼は、兄の「イワン」の何も言わないことが不思議でした。
彼は「イワン」にもっとも期待をかけていました。
彼は、「イワン」は「フョードル」をとどめることができるほどの影響力を持つ唯一の人間だと思っていましたが、「今になってもまるきり身じろぎもせずに椅子にかけたまま、目を伏せ、まるで自分はここではまったく局外者だと言わんばかりに、どうやら何か興味しんしんたる好奇心さえいだきながら、これらすべてがどう落着するかと待ち望んでいるらしいことで」した。
そして、「アリョーシャ」は、「きわめて懇意な仲で、親しいと言ってもいいほどの神学生ラキーチンを眺めやることさえ」できませんでした。
彼には「ラキーチン」の思想がよくわかっていたからです。
そして、そのことを知っているのは、修道院じゅうで「アリョーシャ」一人だけでした。
たぶん、二人は年代的にも近く、心が通じるところはあるものの、考え方の基本的なところが大きく違っていたのでしょう。
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