自分のことを言われてもすっとぼけている「フョードル」に対して、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は、「フョードル」の猿芝居など見たくないから「ドミートリイ」は来ない方がいい、でも、食事には伺うので、院長さまにお礼を申し上げてくださいと修道僧に言いました。
修道僧は、自分はあなたがたを長老さまのところまで案内しますので、院長さまのところには行けませんと言います。
そうしたら、地主の「マクシーモフ」が自分が院長さまのところへ参ります、と舌足らずの口調で言いました。
修道僧は、院長さまはたいへん忙しいので、言いかけましたが、結局、「でも、まあお好きなように・・・」と煮えきらぬ口調で言いました。
地主の「マクシーモフ」は修道院のほうへ駆け戻って行くと、「ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ」は「しつこい爺だな」と不満げに言いました。
そうすると、だしぬけに「フョードル」が言いました。
「フォン・ゾーンそっくりだ」と。
ここに(当時評判になった殺人事件の被害者)と訳注が付いています。
私も別に調べてみましたら、次のような文章が見つかりました。
「フォン・ゾーン」フォン・ゾーン事件について。「群像」2005年11月号(p.174)から引用します。「ニコライ・フォン・ゾーンは高齢の七等文官。1869年11月7日にペテルブルクで行方不明になり、その後12月半ばに自首してきた関与者の証言により殺人事件の真相が明らかになった。フォン・ゾーンはイワノフという男が娼婦を何人も抱えて売春を行っている住居に案内され、そこで毒をもられたうえ、(毒がよくきかなかったせいか)さらに首を絞められ、終いにはアイロンで頭まで殴られて殺された。殺害は彼の所持金を盗む目的によるものである。自主証言によれば、死体はトランクにつめられ、翌日鉄道でモスクワに送られたとのことだったが、調べてみると、実際、モスクワの鉄道駅には引き取り手のないトランクが一つ残されており、中を開けてみるとフォン・ゾーンの死体が入っていた。なおこの事件の裁判の際に、化学の専門家として出廷したのが、後に周期律の発見者として高名になる(当時はまだ全く無名の)メンデレーエフだった。」それから、このページの終わりにある『カラマーゾフの兄弟』に出てくるというのは、『カラマーゾフの兄弟』第一部第二編の一と、八に出てきます。
そういう訳で、第一部第二編の八でも「フォン・ゾーン」のことが出てきますが、そちらの方が事件のことが詳しく書かれています。
また、「スターラヤ・ルッサとの関連でさらに興味深い事実の一つに、フォン・ゾーン事件がある。彼が最初に間借りした二階建ての家の近くに、同じフォン・ゾーンという元陸軍少佐の一家が住んでおり、数年前に死んだ一家の主は、モスクワで起った猟奇事件の被害者とよく似ていたばかりか、『カラマーゾフの兄弟』の父親フョードルともあまりに酷似していたため、小説を読んだルッサの住人たちは一様に仰天したという」という亀山郁夫氏の文章もありました。
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