女は片手を頬にあて、うなだれて、聞いていました、そして、深い溜息をつきました。
「ゾシマ長老」の慰めの言葉にも、残念なことに彼女は癒される様子はありません、そういうことなら夫の「ニキートゥシカ」もあなたさまと同じ言葉で「そっくり同じように慰めてくれました。」と言いました。
「ニキートゥシカ」は『お前もばかだな。どうして泣いたりするんだ。あの子はきっと今ごろ、神さまのもとで天使たちといっしょに賛美歌をうたってるにちがいないよ』と言いながら、自分だって泣いているんですよ、だから、わたしだってあの子は神さまのおそばしか居場所がないってことくらい知っていると言ってやりました、ただ今ここにわたしたちといっしょに、わたしたちの横にいないのです、せめてたった一度でもあの子を一目見られたら、そばに寄らなくても、口をきかなくても、物陰に隠れていてもいいから、ほんの一分でもあの子を見られたら、あの子が外で遊んでいて、帰ってくるなり、かわいい声で『母ちゃん、どこにいるの?』と叫ぶのをきくことができたら、たった一度でいいから、あの子が小さな足で部屋の中をぱたぱた歩くのを、きけさえすればいいのです、あの子はそりゃ気ぜわしくわたしのところに走ってきて、大きな声で叫んだり、笑ったりしたものでした、長老さま、でも、あの子はいない、もう二度とあのこの声をきくことはできないのです!、ほら、これがあの子の帯ですけれど、あの子はもういない、今となっては、もう二度とあの子を見ることも、声をきくこともできないのでございます!と。
女はわが子の小さなモール編みの帯を懐からとりだして、一目見るなり、指で目をおおって嗚咽に身をふるわせました。
その指のあいだから突然、ほとばしる涙が小川となってあふれました。
子供を亡くした母の喪失感がいかほどのものか、ありありと描かれています。
作者も二度小さな子供を亡くした経験があります。
西田幾多郎に「我が子の死」という文章があり、「ドストエフスキーが愛児を失った時、また子供ができるだろうといって慰めた人があった、氏はこれに答えて“How can I love another Child? What I want is Sonia.”といったということがある。」と書かれています。
以下は参考までに、「歴史について」と「歴史と文学」((小林秀雄) の中の文章です。
「子供が死んだという歴史上の一事件の掛け替えの無さを,母親に保証するものは,彼女の 悲しみの他はあるまい。どの様な場合でも,人間の理智は,物事の掛け替えの無さという ものについては,為す処を知らないからである。悲しみが深まれば深まるほど,子供の顔 は明らかに見えてくる。恐らく生きていた時よりも明らかに。愛児のささやかな遺品を前 にして,母親の心に,この時何事が起こるかを子細に考えれば,そういう日常の経験の裡 に,歴史に関する僕等の根本の智恵を読みとるだろう。それは歴史事実に関する根本の認 識というよりも寧ろ根本の技術だ。」「歴史事実とは,子供の死ではなく,寧ろ死んだ子供を 意味すると言えましょう。死んだ子供については,母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが,子供の死という実証的な事実を,肝に銘じて知るわけにはいかないからです」
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