2016年9月18日日曜日

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この子供を亡くして嘆き悲しむ母親に対して「ゾシマ長老」は、子供は天使となって神さまのもとで大勢の天使たちとともにいる、と話しましたが、彼女はそれでも納得できません。

そこで「ゾシマ長老」はどうしたでしょうか。

彼は言います。

『ラケルはわが子らを思って泣き、もはや子らがいないため、慰めを得られない』(訳注 エレミヤ書第三十一章)と同じことで、「お前さん方、母親には、この地上にそうした限界が設けられているのだよ。だから慰めを求めてはいけない。慰めを求める必要はない。慰めを求めずに、泣くことだ。」とひとつの解決策を与えます。

そして、泣くときは「そのたびに、息子が今では天使の一人で、あの世からお前さんを見つめ、眺めておって、お前さんの涙を見て喜び、神さまにそれを指さして教えておることを、必ず思いだすのですよ。母親のそうした深い嘆きは、この先も永いこと消えないだろうが、しまいにはそれが静かな喜びに変ってゆき、お前さんの苦い涙が、罪を清めてくれる静かな感動と心の浄化の涙となってくれることだろう。」と。

以上が、「ゾシマ長老」の話したことです。

ここで、「ラケル」と言う旧約聖書の登場する女性の名前があげられていますが、私にはなかなか理解しがたい文脈です。

「ラケル」を調べてみました。

「ラケル」とは、ネットでは圧倒的に、店の名前です。1963年に開店したオムレツ・オムライスの専門店です。しかし、そのホームページに店名の由来が出ています。「ラケルとは、神話に登場する美しい女性の名前を元にしています。トランプのダイヤのクイーンのモデルにもなっています。英語圏ではレイチェルと発音し、Rachelと書きますが、ラケルは元の発音を再現し、なおかつ日本で馴染みやすいようRAKERUと書きます。」

桑田佳祐の「大河の一滴」という曲に「野暮な躊躇(ためら)いも今はただ、ラケルの横道に埋めました」という歌詞がありますが、これは、「RAKERU 渋谷宮益坂店」です。

ウィキペディアでは、「ラケル(Rachel)は旧約聖書の『創世記』に登場する女性。ヤコブの妻。父はラバン、姉はレア。『創世記』によれば、兄エサウから逃れて伯父ラバンの元へきたヤコブはラケルを見初め、ラバンの「七年働けば結婚を許す」という言葉を信じて働く。ところが結婚式を終えて花嫁を見るとそれは姉のレアであった。ヤコブは怒るが、ラバンの求めでさらに七年働いてついにラケルと結婚することができた。レアには子供が生まれたのに、自分に子供ができないことをあせったラケルは、自分の女奴隷ビルハにヤコブの子を産ませて自分の子とした。それがダンとナフタリである。ラケル自身にも待望の子供がうまれ、その子をヨセフと名づけた。その後、エサウと和解したヤコブは、神の言葉によってベテルからエフラタ(現ベツレヘム)へ向かう。その途上、ラケルは産気づき男子を産むが、難産で命を落とした。その子をラケルはベン・オニ(私の苦しみの子)と名づけたが、ヤコブはベニヤミンと呼んだ。ラケルはエフラタに向かう道の傍らに葬られた。

このレアとラケルには調べればいろいろな話があります。

「ゾシマ長老」が言うこの「ラケル」と同じことで・・・というのはどういうことなのでしょうか、わかりませんが、結局、「ゾシマ長老」は、「慰め」を求めるなと言っています。

ここでいう「慰め」とは何でしょう、辞書では、「何かをして、一時の悲しみや苦しみをまぎらせる。」「いたわってやる。」「なだめる。すかして落ち着かせる。」などと書かれていますが、「ゾシマ長老」はそういうことを求めるなと言っています。

そして、「嘆き」はやがて「静かな喜び」に変わり、心を浄化すると。


このあたりは、私には難しいですね。


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