2016年9月19日月曜日

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「ゾシマ長老」は子供の冥福を祈って法要をするために、亡くなった子供の名前を聞きました。

「アレクセイ」という名前でした。

「立派な名前だ、神の人アレクセイにあやかったのかね?」と「ゾシマ長老」は言いました。

そして、「神の人アレクセイ」について調べると、江川卓『謎解き『カラマーゾフの兄弟』には、以下のように書かれているそうです。

 「神の人アレクセイ」とアリョーシャは小説の中で呼ばれるが、神の人アレクセイとは、4世紀のローマのキリスト教の聖者で、貴族の子であったが乞食同然の生活で神への愛一筋に生きたという。
 江川は、『カラマーゾフの兄弟』はロシアの巡礼歌から大きな影響を受けているというが、19世紀ロシアに流行した巡礼歌「神の人アレクセイ」の主題は、すべての人に対する分け隔てのない愛である。
 (アレクセイは小説の主人公の名前であると同時に、ドストエフスキーの死んだばかりの息子の名前でもある。父親の名前は二人とも同じフョードルだ。)

また、ある人のブログでは、以下のようなことが書かれていました。

研究家ヴェトロフスカヤは、神の人アレクセイ伝説との関連を指摘しているという。神の人アレクセイとは、4,5世紀のローマの苦行者のこと。名門の貴族に生まれ、妻とむつまじく暮らしていたが、思うところあって家出し、荒野で修行を積んで帰宅すると、妻も家族も彼であることに気づかず愚弄し、ついに死ぬ直前に名を明かすという。ヴェトロフスカヤの見解は、この伝説に主人公アリョーシャの運命を重ねようとしたのではないかというもの。

また、別の人のブログです。

 アレクセイという名は「神の人」と呼ばれた5世紀のローマの聖者を指します。昔からロシア人に深く愛されてきましたが、ドストエフスキーもこの聖者を心から敬愛していました。どんな人物だったか簡単に紹介します。-アレクセイは、長い間子どもに恵まれなかったローマの元老院の議員に神が授けた男の子だった。高い教育を受け、花嫁も決められていたが、婚礼の晩にそっと家出して、メソポタミアに向かう。その地で持ってきた金をすべて貧しい人々に与え、自分は乞食のように聖母教会の階段に住んで、お布施を受けた。17年以上こうして過ごしていたが、名が知られるようになってきたことを嫌い、人間的な光栄や尊敬を逃れて別の土地へ向かおうとする。しかし、神の意志によってローマへと連れ戻される。ローマでは、名前を隠して両親のもとに身寄りのない乞食として寄宿し、困難や軽蔑に耐えた。そして、謙虚と忍耐のうちに死を迎える。死後、この貧者がアレクセイであったことが知られる。

「神の人アレクセイ」の説明は、それぞれ微妙に違いがありますが、ドストエフスキー自身の亡くなった末の子供は、アレクセイ(アリョーシャ)と言い、年齢もこの作品の子供と同じように三歳に満たなかったそうです。

「ゾシマ長老」は、子供を供養し、祈りの中で、母親の悲しみや旦那さんの健康も祈ってあげますと言います。

そして、旦那さんを置き去りにするのは罪深いことで、子供があの世から見たら悲しむだろう、子供さんの魂は永遠に生きつづけ、お前さんたちのそばにいるのだから、ふたりが離れていたら帰る場所がなくなる、だから旦那さんのところへ今日にでも行っておやり、と言います。

彼女は、「お言葉に従って帰ります」と涙ながらに答えます。


これで、一件落着です。


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