罪の意識に恐れる農婦に「ゾシマ長老」は言います。
その後悔がお前さんの心の中で薄れさえしなければ、「何も恐れることはない」し、滅入ったりすることはない、神さまはすべてを赦してくださる、「心底から後悔している者を神さまがお赦しにならぬほど、大きな罪はこの世にないし、あるはずもないのだ。それに限りない神の愛をすっかり使いはたしてしまうくらい大きな罪など、人間が犯せるはずもないのだしね。」絶えざる後悔にのみ心を砕いて、恐れなど追い払うのだ、神さまは、考えもつかないほど、お前さんを愛してくださる、たとえ罪に汚れているお前さんであっても愛してくださる、「それを信じることだね。」「悔い改めた一人に対する天の喜びは、行い正しき十人に対する喜びよりも大きい、と昔から言われているではないか。」「人々を怨まず、侮辱に腹を立てないことだ。死んだ旦那さんから受けた侮辱をすべて赦して、本当に和解しなさい。」「後悔しているなら、愛せるはずだ。愛するようになれば、お前さんはもう神の下僕なのだよ・・・愛はすべてをあがない、すべてを救う。」「お前さんと同じように罪深い人間であるわたしが、お前さんに感動し、憐れんだとすれば、神さまはなおさらのことだ。」「愛というのは、全世界を買いとれるほど限りなく尊い宝物で、自分の罪ばかりか、他人の罪まで償えるのだからの。」と。
浄土教の弥陀の本願と共通するようです。
「ゾシマ長老」はそう言って、女に十字を三度切り、自分の首から聖像をはずして、彼女にかけてあげました。
女は無言のまま、地につくほど低く一礼しました。
0 件のコメント:
コメントを投稿